ミケランジェロのピエタ像のマリア様は少女のように若くて美しい。イエス様は三十代に見える。日本人からするとマリア様も大人に見えるがやはり若い。
マリア様は「処女マリア」として、神格化されており、カトリックの中では「無原罪マリア」とか「被昇天マリア」とか言われている。今も同じ教義だと思うが。
マリア様はイエス様を生んだ後に五人くらい子どもを産んでいるから、普通のお母さんだし、そもそもが普通の女性だった。
キリストを生んたのだから、『特別』であってほしいと思いたい気持ちもわからないこともないけれど、無原罪でもなければ、神でもない。ただの女性だ。神格化するのはやめてほしい。神格化しなければ、「誰でも、マリア様のような信仰を持つことができる」という、希望になる。でも、普通の人が簡単に持てる『信仰』ではなかったことも確かだ。
『信仰』は目には見えない。彫刻や絵画は見えないものは制作できない(今は『触る』彫刻や絵画もあるが)。見えないものを見えるように表現すると、『ひずみ』が生じる。
この『処女マリア』の思想、教義、信仰が、女性への固定観念を生み出しているように思う。極端かも知れないけれど、「美しくなく、処女でなく、可憐でなく逞しく、年を取った女性は『聖くない』」と暗に言っているように感じる。
力強く、逞しく、仕事をバリバリやり、戦う女性、満身創痍の人生、苦しみと絶望から這い出して来た女性等々を立派で素晴らしい女性として、描いても良いと思う。
日本には「卑弥呼」という、立派な女性がいた。鬼道を使うのはどうかと思うけれど、国民のリーダーが女性であることは、何の問題もない。伝統が好きな日本人なら、女性天皇も複数人いたことを知っているのなら、女性天皇も「日本の伝統だ」と言うのではと、期待したい。
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