女性蔑視は最低!③

今までの人生で二回遊女に襲われた。それは夢だったが、とてもリアルで、生々しく、恐ろしい夢だった。恐怖にかられて目が覚めた時には、全身が汗びっしょりだった。
一度は大学院の時で、実家に帰っていた時だった。そして、もう一度は、ここ伏見に来てからだった。
二つの夢が、ここで見た夢で重なった。ここ伏見は、それまで思いもしなかったことがあった。それはここが「港町」だったということだ。京都は内陸部で、港があるとは思ってもみなかった。そして、港町の特徴としての遊郭が共通点だった。
これは私が背負った『呪い』なのではないかと思う。こういう街では、そうした女性の悲しみや痛みや苦しみが『呪い』として残っている。そして、当然今も大きく影響している。地蔵が京都に多いのも、「水子」が多いからかも知れない(供養しているだけましかも)。女性を犠牲にして、金儲けをしていた。吐き気がするほど忌々しい事実だ。
こうしたことが、女性蔑視の一因になっている。女性を蔑む言い方に「売女(ばいた)=売春婦」がある。最近では、放送禁止用語になったのか、テレビ等で聞くこともなくなった。しかし、時代劇を見れば、必ずといっていいほど「吉原」等の遊郭や売春宿が出て来る。時代劇そのものが、女性蔑視なのではないだろうか。それを今もダダ洩れ状態で放送している。
私はそういう街で育った。周りには「女はバカだ」「女は頭が悪い」「女なんか、いつでも売り飛ばしてやる」みたいなことを言う大人がいる環境が生きていた。学生の頃でも、「女のすることは…」とか、「女の運転は…」のような言葉があった。
『女性蔑視は最低!』という題名は、厳しいし、反発もあると思う。でも、私自身が自戒を込めて掲げさせて頂いているつもりです。
子どもの頃から、そうした環境で育ったせいか、『女性蔑視』が身体にも心にも、ともすれば「遺伝子」にも沁み込んでいると思う。
そんな私に女性の素晴らしさを教えてくれたのが、大学時代だった。教育学部ということもあったのか、七分の六が女性という世界だった。そこでは、女性がどんなに素敵な存在かを教えてもらった。賢いし、優しいし、まじめだし、人のことを心から心配するし、一緒にいて楽しいし、上を目指して頑張っているし…。女性が女性であることで、差別される理由など認められない。
女性を差別する男は、劣等感からとしか思えない。女が自分で卑下するのは、自分を買ってもらおうとしているだけに見える。「女性が控えめである」ことは、もう礼節でも美徳でもないはずです。
女性を蔑視するのはやめて、協力し合い、協働し合い、助け合い、尊敬しあって、より良い社会を、世界を作っていきたい。男だけの社会、男に都合の良い世界。その歪みをもう十分に知っているはずです。それらは、争いや戦いや差別ばかりを生んできていることもわかっていると思う。
平和の象徴は「鳩」ではなく、「女性と子どもと年寄り」なのでは。

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