知恵の実

学生の頃、津軽出身の先輩が実家から届いたリンゴをジュースにして飲ませて下さった。「津軽ではリンゴがたくさん取れすぎて、食べてられないから、ジュースにして飲むんだ。」と、教えてくれた。
それまでに味わったことがない程においしいリンゴだった。最近は美味しいリンゴがたくさん出回っているが、その時のリンゴを一番印象強く美味しかったとおぼえている。

リンゴが「知恵の実」となったのは、聖書の誤訳からだったらしいが、本当にリンゴが知恵の実だったら、私も少しは賢くなれたかも知れない。
パイレーツオブカリビアンで、バルボッサがリンゴを食べるシーンが好きだ。あんなにおいしそうにリンゴを食べているのを初めて見たし、その演技力の凄さに、圧倒された。男臭い、汚ならしいシーンだが、とても魅力的に見える。

「知恵の実」は、(以前も書いたけれど、これからも何度も書かせて頂くことになると思う)「知恵の実」ではない。ただの「善と悪の知識の木の実」であり、「知識」と「知恵」では大きな違いがある。
「石と木とツタがあることを知っている」のと、それらを使って「石斧」を創るのとでは、大きな隔たりがある。
しかも、色々な知識ではなく、「限定『善と悪』の知識」である。それが、かしこそうにも見える。聖書には、「われわれ(神)のようになった」とあるが、これは強烈な皮肉で、真に受ける方がどうかしている。神のようになったのだから、神の助けなしで、うまくやれるんだよね。だったら、エデンの園から出て行って。まるで、思春期の子どもと親のやり取りみたいだ。

原子力は平和利用もできるけれど、核兵器にもなる。核兵器も「戦争を止める」ことにも使えるのかも知れないけれど、「脅し」にも使える。
「物事には、『裏表』がある」という時の「裏表=善悪」であると考えられる。

サリドマイドは「悪阻の軽減」のために作られたが、その為に障碍を持った子どもが生まれた。しかし、ハンセン病の症状緩和や多発性骨髄腫に効果あるということで、現在使われている。
まさに、「毒にも薬にもなる」ということのようだ。

常に問題となるのは、この「善悪の知識」をどう使うかだ。残念なことに、「『善を行える知恵と意志』の木の実」でなかった。
人は、必ず「いいか、わるいか」わかったうえで、悪を行う。どんなにしらばくれても、聖書的には全員が「確信犯」である。

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