【新改訳2017】出エジプト記
21:23 しかし、重大な傷害があれば、いのちにはいのちを、
21:24 目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、
21:25 火傷には火傷を、傷には傷を、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。
「目には目、歯には歯」という言葉は、ハムラビ法典(紀元前18世紀頃)にも出ている。モーセはそれよりも後の時代である、紀元前13世紀頃と言われている。モーセはエジプト王女の養子として育てられ、妻ツィポラの父でオンの祭司のイテロの下で、学んだと考えられるので、ハムラビ法典について学んだとしてもおかしくはない。
「目には目、歯には歯」は、「同害報復」と言われているが、出エジプトにあるように、「償わなければならない」というもので、すぐに「復讐」と、言っているのではない。
その一つ前の節にあるのは、「命には命」という言葉で、英語の「life」は「命」「生活」「生涯」を意味している。「死んでお詫びをする」という言葉は、日本ではよく聞くが、「生きて『生涯』かけて償う」ことの方が大切だろう。
その、「命には命」は、今の刑法では、大体「一対四」のようで、「死刑は四人殺したら」くらいのようだ。それでも、死刑になったからと言って被害者家族の喪失感を埋めることはできない。本当に償うというのはとても難しいことである。
せめて生涯をかけて、反省をし、心を改めて、被害者家族と社会に償うべきだろう。確かに、全く反省もしない人を生かし続けることは、できないかも知れない。
【新改訳2017】マタイのよる福音書
5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。
そうした流れの中で、キリストの言葉を見て頂きたい。これは、一見何もするなと言っているように見えるが、そうではないし、これはあくまでも、ケンカ程度の話である。元々ある「目には目、歯には歯、命には命」の「同害報復」が、行き過ぎて、「復讐の連鎖」になっているのを断ち切るための教えである。「ガマンして、やり返すな!」ということだろう。怪我をさせたり、命に関わることになる前に、止めるにはこれしかない。怪我をさせたり、殺してしまったりすれば、内々ではすまなくなり、警察沙汰になり、自分が加害者になったり、大切な友や家族を犯罪者にしてしまう。
私の母は、私が小学生の頃よく、「やられても、やり返すな」と言っていた。「悪いことをするような者に仕返しをすると、どんな酷い事をされるかわからないから」ということだった。
母は、この教えのことを言っていたのかも知れない。
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