オリンピックを止めませんか?

関学のアメフト部の大麻疑惑が出て、「またか」とガッカリしたら、「誤報だ」とか。その後、「アメフト協会側と真っ向対立」のようなニュースに。どちらが本当なのか、私にはわからない。

でも、前からずうっと疑問に思っていたことがあったので、仲良しの牧師先生たちに聞いてみました。それは、「どうして、スポーツ関係のチームや部員などに『薬物』の事件が多いのですか?」というものでした。
私は牧師になる前は、「オカルト系」に近い「オタク系」の部活や世界に棲んでいました。超能力や降霊術や黒ミサなどの方面です。そこでは、むしろ『くすり』は身近な存在でした。が、ご安心ください。そうした物には、手を出しませんでした。身近な物であるために、どういう物かを知っていたということができるからでしょうか。芸術作品を創るために、『くすり』を使う人がいますが、それは『ニセモノ』作家です。それでは、本当の芸術作品は創れません。降霊をするにも、『くすり』を使うのは、同じことです。幻覚などに振り回わされて、本当の霊との交信は出来なくなります。
すると、先生たちからの答えは、「スポーツはものすごいプレッシャーがかかる」ということでした。「勝てば褒められるけれど、負けたら、酷い事を言われ、将来もどうなるかわからない」ということでした。
それを言われて、「そうだった」と、子どもの頃、そう思っていたことを思い出しました。
円谷幸吉選手のことです。どうぞ、関連の記事を検索してみてください。彼の『遺書』と、彼のことを歌っただろう歌は、悲しすぎます。

スポーツの世界は、「試合の世界」で、「競争の世界」です。勝敗をはっきりさせて、勝者だけが、名声も富も手に入れます。そして、敗者は何も手にすることはできないかも知れません。
オリンピックは、『世界一』を決めます。金を手にする者は一人だけです。その人を頂点として、世界に君臨します。他の人はすべて『敗者』です。
そうしたプレッシャーから、『くすり』に手を出す人が多いのだそうです。さらに、「ギャンブル依存症」になる人も多いそうです。スポーツは「勝ち負け」の世界で、その刺激や興奮を与えてくれるものが、ギャンブルなのだそうです。

子どもの頃、「健全な肉体に、健全な精神が宿る」と言われて、運動を強いられた気がします。でも、ある人に、あの言葉は嘘で、「宿ったらいいなぁ」程度だと。
私も、「高校球児」は好きでした。でも、「プロを目指すと、精神をやられる」と言われていたように思います。

私たちの世界は、「勝ち負けの世界」、「競争の世界」、「弱肉強食の世界」等などです。これこそが「呪いの世界」でしかない。それこそが、「食べてはいけない」と言われた「善悪の知識の木の実」を食べた結果です。

「健康にいいから、運動しよう」のレベルで止めるべきだと思います。
オリンピックは見方によっては、「代理戦争」か「グラディエーター」に見えます。オリンピックやワールドカップ等で負けた選手は、「選手生命」だけでなく、本当に「命・人生・生活」さえも失う人がいます。こんな理不尽で、不健康で、不健全で、残酷な世界は、もういらないと思います。

でも、止められないでしょうね。「善悪の知識の木の実」は「知恵の実」などではなく、「死の実」です。「競争の実」であり、「博打の実」であり、「勝ち負けの実」です。上下関係を生み、人を貶め、差別する毒です。

救いは「神の前の公正、公平、平等」でしょう。
神は「愛の神」であり、「あわれみの神」であり、「弱者の神」であり、「敗者の神」だからです。もちろん、思い上がらず、優しく、親切であれば、「勝者」や「金持ち」にも、よくはしてくださると思いますが…。医者は病人に必要なので。

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