『冤罪』は怖ろしい。
聖書にもナボテの畑がほしい王が、ウソの証人を立てて処刑する話が出て来る。
イエス様も同じ方法で、十字架刑に処せられた。無罪の人を犯罪者とすることは、本当に怖ろしいこだと思う。故意に「濡れ衣」を着せて、自分が犯罪を逃れようとすることもある。
更に、真犯人は罪を逃れ、罰せられることもない。
ナボテの時は、アハブ王が犯人であり、神様に罰せられる。
イエス様の時は、イエス様を信じる者は、「罪びとでも罪を赦される」ことになる。
袴田さんの場合の真犯人は誰なのだろう。味噌会社の専務の家族を殺した人は、もうつかまることはないように思う。その人は逃げおおせたことになる。
でも、袴田さんの人生を奪ったのは、警察と検察と裁判所という司法機関ということになるのだろうか。袴田さんはまだ生きている。でも、彼はこれから、今までの人生を逮捕された時に返ってやり直せることができるのだろうか。仕事をし、キャリアを積み、恋をし、結婚し、家庭を築き、子どもを抱き、孫を抱き、よいおじいさんとしての人生をどうやって、送ることができるのだろうか。
裁判所は袴田さんを有罪とした証拠を「捏造」と断じた。
それが本当なら、偽の証拠を作った「人」がいたことになる。その人は今どうしているのだろうか。彼が真犯人だと信じて「『捏造』は正義だ」と思ってやったのだと思うが、無罪が事実だったら、どうなるのだろうか。
私の父母もその兄弟姉妹も祖父母たちも第二次大戦に参加していた。お国のために、「正義の戦争」をした。戦後には、戦争犯罪国として裁かれた国民だった。信じて戦争をし、人殺しをし、また殺された。
戦前と戦後では、法律が変わった。何が正しいのかが変わった。国が違えば、それもまた異なる。
政治家は嘘をついたり、記憶をなくしたり、警察の不祥事も毎年のようにあるし、大阪の検察の冤罪事件は衝撃的だった。
私たちは何を信じて生きたらいいのだろうか?
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