マルチン・ルターが、「95か条の提題」をヴィッテンベルクの教会の門に貼りだして、主にカトリック教会の贖宥状(免罪符)販売を批判したと言われている。
カトリック教会が、キリストの教えをお金に換えたことが気に入らなかったのだと思う。
今でも、聖書の御言葉をビジネスで活用するような話は聞くし、実際に役立つことも多い。クリスチャンになったら、まるでお金持ちになれるかというような話も聞く。確かに、お金持ちになった人も多い。しかし、この場合「逆もまた真なり」は成立しない。
クリスチャンで貧乏な人も多い。「清貧」を信条としている人も多いからだ。
そして、お金持ちのクリスチャンが「成功者」でもない。
肝心なことは、「分かち合い」だ。英語でよく「シェア」と言われた。
キリストの言葉や聖書の言葉やキリスト教を利用して、金儲けをして、「神の祝福だ」とか言う人も多い。問題はそのお金を何のために、どう使うかだろう。
キリストは「人々が愛し合う」ことのために、その命を献げられた。キリストの犠牲と命を「金に換える」ようなことは、絶対に赦されない。
その時、イエス様は言います。
【新改訳2017】マタイによる福音書
7:23 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』
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