小学三年か四年の頃、母方の伯父とよく話していた。娘さん(従姉妹)は中学か高校の体育の先生をしていた。伯父は私を捕まえると戦争体験を話してくれた。その従姉妹は、「お父ちゃん、そんな話、子どもにせんといて。」と怒っていたが、私は聞きたくて隠れて聞いていた。
伯父は「金鵄勲章をもらった。一番下だけどな」とか「恩賜の煙草をもらった」とか、話してくれて、その武功を教えてくれた。伯父は射撃が上手で、何十人もの中国人を殺したことを教えてくれて、どうやって銃を撃つのか教えてくれた。そして、隊長が銃の腕のいいのを知って、いつも自分の側にいるように言われて、隊長を守って来たことを話してくれた。突然中国兵が出て来て、それをやっつけてほめてもらったような話をしてくれた。
それは、西部劇映画のようにワクワクするようなエピソードに思えた。
しかし、一番最後に、「それがな、戦争に負けて、全部無駄になった。勲章ももらって、喜んでいたけど、今はただの『人殺し』の戦争犯罪者よ。」と、ぼやいた。
その瞬間、私は胸の中を冷たい氷で切られたように思って、ゾッとして、寒気が走り、『恐怖』を感じた。
伯父は優しくて、多才で、頭のいい人だった。
でも、その時、目の前に『人殺し』がいるのだと思って、恐怖を感じたのだった。
平時だったら、大量無差別殺人犯とか猟奇殺人犯とか言われる類の人なのだと思った。喜んで人殺しをしていたのだから。
伯母は伯父がよく寝ている時に魘されていると、私の母に話していた。「やっぱり、戦争の夢を見ているのかなぁ」と、心配していた。
心のケアとか、カウンセリングとか、何もない時代で、日本は戦争をしたことや負けたことを無かったことにしようと思っていたのか、兵士には、何も手当がされていなかった。
伯父は苦しみ続けていたのだと思う。
伯父の子どもは女の子が二人だったから、私の母に、「私をくれ」と言っていたそうだ。伯母も「父ちゃんは、あんたがかわいいみたいだからな」と言ってくれた。
でも、私はもらわれなくて良かったと思った。私は伯父のその戦争体験を聞いてから、性格に問題を持つ子のようになっていた。伯父の事が好きだったこともあって、自分も『人殺し』なのだと、どこかで思っていたようだった。と、同時に「殺されるも前に殺せ」という伯父の言葉が、ずうっと心の中で響いていた。
クリスチャンになって、罪は償わなければならないけれど、「人殺しでも救われる」とわかって、解放された。
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