頑張らない信仰

神学生の時に横田基地のアメリカ人の教会へ行った。日本人の教会へ派遣されたけれど、アメリカ人との合同の礼拝や夕拝などもあって、アメリカ人の人に会えるので、とても楽しかった。
メッセージの後、「恵みの座」が講壇の前に開かれ、みんな前に出て行って跪いて祈った。
横田基地なので、軍人さんとその家族の人たちが多く、身体も私の二倍以上あるような人がたくさんいた。その人たちが、跪くと言うよりも正座をして、身体を小さくして頭の床に付けるようにして、必死で祈っていた。
いつ戦地にいくのか、家族と離れ離れになるのか…。
不安や怖れなどがいっぱいあったのだろう。大の大人の大きな体の軍人さんが、声を上げて泣きながら必死で祈る姿を見た。10分、20分、30分…。祈り終わると自分の席へと帰って行く。その顔には、涙が流れていたが、みんな晴々とした笑顔をしていた。

伯父から聞いた日本人の兵隊は、兎に角我慢して、弱音を吐かず、頑張るしかなかったのだと。最初はいいけど、みんな段々とおかしくなって行く。「戦場はな、『生きていたい』という気持ちがどんどんなくなる場所なんだ。『死んだら楽になれる』と思ってしまう。そうして、みんな『万歳突撃』をするんだ。」と、言っていた。誰にも頼れない。泣いて助けを求められない。周りに同じ隊の人がいても、いつも一人ぼっちなのだそうだ。
「一人で頑張るしかない。『天皇陛下万歳!』って叫んだからって、天皇陛下が助けてくれるわけじゃないしな。天皇は本土にいるんだし。こっちは中国の全く知らない地で、一人ぼっちで死んでいくんだ。そんな思いが心を破壊していく」と。

アメリかの兵隊さんは、泣いて、叫んで、助けを求めて、確信を頂いて、晴々として戦地に赴くのだと思った。インマヌエルの神がいつも自分と共にいてくださると確信して。

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