知恵の実?

ドナーパン屋を辞めさせられる時、一人だけ、チャーリィの側に立ってくれたファニィが、「アダムとイブが知恵の実を食べたのは悪いことだった。二人が、自分の裸に気がついて、欲望や恥を学んだのはいけないことだった。それからエデンの園を追いはらわれて、門をしめられちゃった。あんなことがなけりゃ、あたしたちは、みんな、年もとらなきゃ、病気にもならない、死にもしないですんだのにねぇ」と、急に賢くなったチャーリィに言う。
これは、当時もそして、たぶん今も同じように考えているキリスト教の考え方なのだと思う。「知恵」を得ることでエデンの園を追い出された人間が、「それ以上の知恵を手に入れようとすることは間違いだ」という、教えであり、ガリレオ裁判に見られるような「科学」を「悪魔の業」だとする教会の浅はかな考え方を示している。
アダムとエバが食べた木の実は以前も書いたが、「善と悪の『知識』の木」の実であって、「『知恵』の実」ではない。
この「善悪の知識の実」の効力は、例えば、「原子力」というものを発見・発明した時に、「平和利用≒善」にも「武器≒悪」にも使えることを知る「知識」を瞬時に得るという能力だろう。
ジュラシックワールドで、ラプトルを手なづけるオーエンに、「殺人兵器」としての利用を示唆する人が出て来るように、何でも「善にも悪にも」使えることに、すぐに気が付く能力であり、これには、「本物の知恵」が手に入るのではない。
核兵器のボタンを押すか押さないかも「知恵」かも知れないが、「二者択一」ではない、ボタンを押さないで、戦争を終結する『別の知恵』を締め出してしまうような知恵である。
最終的に、「善と悪の知識の木の実」によってもたらされた「知識」によって、現在人類は絶滅の危機に瀕している。科学者に求められるモラルも、いかに賢い科学者であっても、一番大切な「知恵」を欠いていることを意味する。
人類の不幸は、善悪の知識の木の実を食べたことによる知識の問題ではなく、「神の言葉に従わなかったこと」が最大の問題である。今もしできることがあるとしたら、知識を神の御心に従わせる知恵だろう。

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