
私の神学校の時の音楽の先生でした。私はどれほど感謝しても感謝しきれない思いです。
子どもの頃から音楽の授業が嫌いで、いつも恥をかいていた。和音に合わせて「起立、礼、着席」をさせられた時に、私は一人だけ立っていたり、一人だけ椅子に座ってお辞儀をしていた。音痴というのは、こういうものなのだろう。主要三和音が聞き分けられなかった。その時から、音楽が一番キライな科目になった。
高校生になって、選択科目で音楽を選ばなくて済んだのは、本当にありがたかった。
ところが、大学に入って、教育学部ということで、ピアノを弾くはめに陥り、絶望に近い中で、音楽の授業を過ごし、採用試験で、ピアノのテストのあったことには辟易した。
そんな私が、神学校に入った時に、音楽の授業があることを知って、再び絶望した。しかも、先輩方の話では、最も厳しく、最も恐ろしい先生だと聞かされていた。
しかし、一回目の授業の時に、大森先生は「音楽は、建築学と同じようなものなの。」と話された。
私はあまりの衝撃に、息を吞んだ。
「コンポジションといって、正しく設計して、組み立てていくものなの。」と。
私は、音楽は科学であり、数学なのではないかと思った。それで、音はわからないけれど、音楽理論は理解できた。そして、「音楽通論」という本を熟読した。実に理にかなった本だった。
それで、音楽の成績は「B」をもらった。音大出の神学生でも「C」しか付けないという評判だったから、私の「B」は最高点ということだと思った。
私は、余分にオルガンの実技も取った。大森先生は私の弾く、オルガンよりも私とお話しをすることを楽しみにしてくださっていた。一人の持ち時間が30分なのに、いつも一時間近くお話しをした。
それは、教会音楽とは何か、奏楽者の心構えとは何か、賛美とは何かという話だった。
私は、それまでの神学生が聞いたことのないであろう先生の大切にているものを教えて頂いた。それをはっきり言えるのは、いつも「今まで、話したことないけど」が、枕詞だったからだ。
大森先生、先生が教えて下さったことを、頑張って、実践しているつもりですが、まだまだちゃんとできていません。本当に申し訳ございません。でも、これからも、頑張ります。本当にありがとうございました。天国でお会いした時は、ちゃんとお礼を言います。
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