年寄りになって

登坂淳一アナウンサー(1971年生まれ)のロマンスグレーはカッコイイですね。
私よりも十歳ほどお若い。今年で65歳になります。段々と年を取っていくと、今までとは違う考え方や見方になって行く。それを成長であると言ってくれた学者がいたので、ありがたいことだと思う。「老いる」ということが「成長」であるなら、まだ何かが伸びていると思えてうれしい。
でも実際の所、最近は心配が増えて来ている。ありがたいことに、クリスチャンなので、死ぬことには、そんなに不安があるわけではない。死ねば天国に迎え入れられ、祝福と平安と、牧師なので少しはご褒美もあるかも知れない。子どもの頃の集団予防接種の注射を待つような気分だろうか。
心配なことは、相変わらずこの世のことなのだろう。「まだやり残したことはないか?」ということのように思う。きっと、たくさんあるように思う。でも、私がやらなくても誰かほかの人に代わってもらえるとも思うが、もっとやりたいこともある。そう思うと、身体や心が着いて行かないということが、不安の大きな原因のように思う。若い頃なら、もっと心身ともに強くあれたのにと思う。そんな時に、
【新改訳2017】イザヤ書
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。
の御言葉はありがたい。
モーセは40歳の時に、イスラエルを解放しようと自分の力を頼りに頑張って、失敗し、逃げることになる。80歳になった時に、神様に言われてエジプトへ返り、イスラエルを救う働きをせよ、と言われる。
しかし、モーセもひねくれている。自分がやろうとした時に神様は助けてくれなかったのに、こんな老いぼれになってから、今更行けなんてよく言えたものだと、神様につっかかって行く。
まだやり残した仕事があるのなら、80になる前に言ってほしいし、今抱えている仕事もそろそろしんどいです。もう少し早く言ってほしかった。
もう自分の力に頼らず、主だけを頼りにせよ、と言われているのだろうか。それもこれまでに何度も言われて来ていたが。

ここは、日本人の人には説明が必要だと思う。「滅私奉公」というのが、日本的だけれど、聖書の神様は「自己」を捨てるようには言わない。自己はしっかりと確立しなければならない。自己を捨てて、ご主人様に仕えろというのは、神代の時代よりの日本的パワハラである。聖書の神は自己をしっかりと持って、自分らしく主体的に尊厳をもって、主に仕えよという。

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