
尾道の美しく、懐かしく、切なくなる風景の中で、大林監督が描いた映画がいくつかあった。「さびしんぼう」もその一つだけれど、町の雰囲気もあって、切なさが募る。
学生の時、先輩に、「『淋しがり家(一人で淋しい)』になっても、『淋しがり屋(人に淋しさを売りつける)』にはなるなよ」と言われたことがある。私は、子どもの頃から、心のどこかにずうっと「淋しい」という思いを抱えて生きている。今は、心の真ん中に「神様の愛」があるので、その淋しさはほとんど意識することはなくなっているが、何かの弾みで、淋しさに支配されてしまうことは今もある。
今、新生活を始めた人たちが多いことだろう。親許を離れて初めて一人暮らしをする人も多いだろう。特に大学一年生になって、下宿をする人も多いと思う。
「『淋しさ』を軽く思わないでほしい」と、老婆心ながらに思う。自分のやりたいことがあっても、誰かに側にいてほしいと思う気持ちで、やりたい事を見失ってしまったのでは、何のために大学に進学したのかわからなくなってしまうこともある。また、その淋しさに付け込まれることもしばしばある。
淋しい気持ちを埋めてくれるものを見つけるのは確かに難しいと思う。牧師なので、『神様』と言ってしまうけれど、神様と思えなくても、「『誰か』が、心配して、見守っていてくれる」くらいには、思ってほしい。『人』の友だちや仲間がいなくても、別の『誰か』は、すぐ側で見守っていてくれる、と考えてみてほしい。
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