
気持ちを休めるために宇治に出かけたら、さくらが満開で、人も満開でした。ひと気のないところへ行きたかったのだけれど、この時期は無理なことのようでした。
外国人が多くて、本当に観光客がいっぱいで、それは、伏見も同じ状態です。うちの近所の宇治川派流も人が押し寄せていました。
帰りに、観光客の多いところを歩いていると、話しかけて来られました。「Can I help you ? 」「No.」と答えたのですが、「Are you following me ?」としつこい。再び「No.」と応えて離れようとしたら、「お父さん、迷惑そうだから、もうやめて。」と、娘さんらしき人が。それで、「日本人です。」と、答えたら、「えっ。」と驚かれた。
昔、広島にいた頃にも、駅で座っていると、いきなり「日本語わかりますか?」と話しかけられたことがある。「分かりますよ。日本人ですから。」と応えると、「えっ。」と驚かれて、「アーリア人かと思った。」と言われたことを想い出した。アーリア人って、誰よ?
神学生の時、中国人の集会の女性と話したら、「アナタ、チュウゴクイッタラ、ゼッタイモテマス。チュウゴクデハトテモ、ハンサムデス。」と言ってもらったことがある。台湾に神学校の研修で伝道体験に行った時には、一人の婦人が娘(15、6才)を連れて来て、「この娘を日本に連れて帰ってください。」と言われた。神学生なんですけど…。
私はどこの国の人間なのだろうかと、時々思う。そんな時、聖書にはとても素敵な御言葉がある。
【新改訳2017】ピリピ人への手紙
3:20 しかし、私たちの国籍は天にあります。
アーメン。ハレルヤ。感謝します。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」
芭蕉になった気持ちになります。日本にいても外国人の観光客…。
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