
今から、三十年ほど前にお会いした姉妹から聞いたお話。
信仰を持って、洗礼を受けたことを母親と祖母に伝えた時に、二人は涙を流して、「あんた、なんて大変なことをしたの。」と、嘆いたそうです。
戦前にも、クリスチャンは迫害され、特高に連れて行かれ、拷問を受けたり、獄中死したりした話を聞いた。明治憲法下では、信教の自由はうわべは、認められているように条文に書かれていたが、「国家神道は宗教ではない」と、ウソをついてクリスチャンや創価学会や天理教なども迫害し、ひどい目に合わせてきた。明治政府下で、廃仏毀釈が起こったことをみても、国家神道が宗教対立をしていたことは事実で、自らが「宗教と同等」であることを認め、思想統制、強制排除していたことは、「神道が宗教である」ことを自ら認めている。
それよりも、キリスト教に対する意識は、戦国、江戸時代に基盤が造られたように思う。日本のキリスト教迫害の歴史はあまりにも酷すぎる。「踏み絵」を知らない人はいないだろう。「隠れキリシタン」も同じだろう。
そんな文化と歴史を背負って生きているのが、私たち日本人だと思う。
今生きている日本人は、隠れキリシタンだった家系もあるが、殆どが、迫害したか、密告したか、知らん顔をした者の子孫だと思う。これって、「イジメの構造」そのものでしょう。
私の血筋もそうだったと思う。そんな中で、クリスチャンになるというのは、相当なプレッシャーだった。だから、クリスチャンには簡単にはなれないし、今も半分隠れキリシタン状態の人もいるだろう。
キリスト教を伝える時に、「信じるだけで救われる」と言うけれど、その「信じるだけ」が、困難極まりないことなのだろう。
あなたは『簡単に』信じられますか?
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