時効

「2010年4月27日に、重大な犯罪である殺人罪などの公訴時効が廃止されました。」とネットで調べると出て来た。
聖書的には、「命には命をもって償え」とあるので、「一対一」での罰であり、時効などそもそも存在しない。「目には目、歯には歯」の方が有名だけど、「命には命」の方が重要だろう。
広島の光市母子殺人事件の時に「母親と赤ちゃん」が殺された。当時は、「四人殺したら、死刑」というのが通常のようだった。子どもは半分という計算のようだったから、「1.5対1」にまで近づいた。それでも今はまた「四対一」に戻ろうとしているように感じる。
殺された人の命を軽く考えすぎているのではないかと思う。
「強姦罪」も以前は「申告罪」だったから、被害者が訴えなければならなかった。だから、泣き寝入りする人が多く、犯罪を犯した者勝ちになっていた。それも、申告しなくて良くなった。これは、女性の権利を守る上で大切なことだろう。それなのに、今でも被害者に対して冷たいし、悪意のある書き込みが絶えない。精神的な苦痛を考えると、死刑でいいと思う。死刑にしたとしても、被害者の失ったものが返ってくるわけではない。
元来、殺人などに時効がある方がおかしい。過失とは違う。聖書でも、過失は赦されなければならない。

問題は、「悪意」である。人を傷つけ、苦しめ、痛めつけることが平気だったり、心の中で笑ったり、喜んでいる悪意は、それが、殺人であろうが、イジメであろうが、絶対に赦されることはない。
赦しを与えることができるのは、キリストだけだ。そのためには、完全なる悔い改めが必要である。
それは、ものすごくイヤなことだと思う。自分の悪意を認め、謝らなければならない。そうでなければ、「悪意」が消えないことくらい、誰にでもわかるだろう。
お祓いをしてもらったり、お供え物や献げ物(神への賄賂)をして誤魔化しても、悪意は残っている。というか、「悪意」を守るために、そうしているようにしか見えない。
その悪意は、やがて自身を滅ぼすことになる。

「因果応報」「自業自得」である。「悪意のある者は『呪われる』」。これらは聖書の言葉そのものではないけれど、ほぼ正しい。そして、神様の裁きはそれ以上に恐ろしい。
しかし、神様は、「赦しの方法」も用意してくださっている。「悪意」は「罪」である。その悪意を認めて悔い改めるなら、赦される。

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