
キリスト教式の葬儀をする時に、ご家族がクリスチャンでない場合も多い。その時に、色々な式のやり方とか、式後の進め方などで、打ち合わせをしなければならない。
その時、一番多い質問が、「初七日とか四十九日とか、一周忌とか、三回忌とか、永代供養とか、月命日とか…どうしたらいいですか?」という質問である。答えは至極簡単で、「一切ありません」ということです。あるとしたら、「イースターの日に召された方々の記念会をする」という感じですかね、というと、「何もない。簡単ですね。」と言って、驚かれる。
【新改訳2017】ルカによる福音書には、
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
23:40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
23:42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」
死刑になる犯罪者でも、悔改め、イエス様を信じるなら、死んだその日のうちに天国にいく。天国に行った人は私たちのような苦しみも悩みも痛みもなく、ただただ楽しく幸せに生きている。だから、地上にいる私たちが何かしてあげる必要もなく、むしろ、私たちのことを心配して、直接神様に助けを求めてくれている。
仏教の方には、「天国は極楽浄土でないので、線香を焚くこともなく、燈明をあげることもなく、念仏も法事も必要なく、浄土で成仏のために修行するのを励まし助けるための供養も法事も必要ありません」とお応えします。
私たちは、いつも召された人の存在を心のうちに感じ、再会の日を楽しみに待ちながら過ごします。
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