アヘン戦争

 1840年から起こったアヘン戦争は、暴力団やマフィアのやり方と同じだろう。清国にアヘンを売りつけ、中毒者が大量に生まれ、それに反対した清国にイギリス軍が勝ち、香港の割譲と不平等条約を結ばされた。イギリスがいかに横暴で、最低の国であったかを示している。何が「大英帝国」だ。
 しかし、その様子を見て、日本は恐怖にかられ、清国になるか、大英帝国になるかの選択をして、大英帝国になる道を選んで、「大日本帝国」を作り、朝鮮を始め、清国へと手を伸ばし、東南アジアまで、戦線を拡大し、第二次世界大戦で大敗を喫し、世界からの批判の中、A級戦犯を処刑し、新憲法の中で、戦後の復興を果たして来たが、戦争犯罪国のままの状態であり、まるでアメリカの属国か、植民地扱いである。
 当時世界には、戦力以外の正義は無かったのだろう。戦争に勝ことが正義だった。だから、戦争に負けた日本には、正義はない。その道を選んだのも当時の日本人だった。第二次大戦の『負け』を取り戻す術は今のところないようだ。
 大日本帝国は大英帝国とよく似ている。小さな島国で、多数の植民地を持っていた大英帝国の真似をしたかったのだろうが、戦略も戦術も戦国時代か戊辰戦争時代のものしかなかった。日露戦争に勝って、戦艦にこだわり、空母を作らなかったことも、ドン・キホーテさながらの愚かさである。長年の鎖国故の無知だったのだろう。
 そして、大日本帝国はが最も似ていたのが、「ヒットラードイツ」だった。
 戦後、昭和天皇がヨーロッパを訪問していた時に、「ヒロヒットラー」とやじられたと、中学生の時の先生から聞いた。
 NHKも民法も、「ヒットラードイツ」の残虐性や非人道性などを取り上げて報道しているが、「ヒロヒトニホン」の報道は殆どない。気が付けば、「戦前の日本はいい国であった」かのごとく語る者の多いこと。そして、第二次大戦の評価は外国による偏見でしかないとさえ言っている。
 「歴史修正」という言葉がある。のちの人間が、自分に都合のいいように、歴史書き換えることを指す。「歴史は勝者の歴史」と言われるのもその所為だろう。戦後の日本人は自分たちの都合のいいように、国内の歴史観を作り上げていった。
 しかし、日本が清国のようにならないために、朝鮮、清国を支配下に置き、その為に1000万人以上の人を殺したことが、「正当防衛」と言えるのだろうか。日本の300万人の死者を「尊い『犠牲』」と言えるのだろうか。被害者のような顔をしているが、日本は『加害者』の国だ。戦後に「ヤクザ映画」が大量に作られたのは、正義はどちらにもなく、命がけで戦った者にこそ「美学」があると言って、大戦を「加害者意識」を誤魔化すためのものだったのかとさえ思う。
 武器を失った兵士が抜刀して、「天皇陛下万歳」と叫びながら、敵の銃弾雨の中にゴミのように倒れて死んでいったことのどこが、『尊い犠牲』なのだろうか。軍部の「愚鈍で無策」による「無駄死に」でしかなかった。『尊い犠牲』などではなく、『無駄な犠牲』だ。

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