
学生の時、複数の女の子の友達と毎日にようにお昼ご飯を一緒に食べたり、おしゃべりをしていた。「彼女・彼氏」という関係ではなかった。本当に中の良い友達だった。私の結婚式にまで遠方からきてくれたし、今もやり取りのある子もいる。だから、彼女たちは本当に何でも話してくれたし、こちらも言いたいことを言い、聞きたいことを聞かせてもらった。
そんな話の中で教えてくれたのが、この「女の敵は女だよ」ということだった。単純な私は、女の子同士はいつも仲良くしていて、きぁあきぁあと和気あいあいとしているものだとばかり思いこんでいた。でも本当はそうではなく、表には見えないところでの壮絶な戦いやドロドロの思いが心の中に渦巻いているのだと教えてくれた。
アホな私には衝撃的な話だった。
一つの質問をされた。「もし同じ男の子を好きになったら、どうなると思う?」。この質問で、すぐに理解ができた。「嫉妬」というどうしようもない感情で心が満たされて、正気を失うだろう。近くにいる友達であればあるほど同じ男を好きになる可能性も高い。それまで仲良くしていた者同士の壮絶な戦いが展開するのだろう。男同士のように決闘というわけにもいかないから、弱い女性ならではの、過酷で長時間かかる精神的で巧妙な意地悪な試合が続くのだろう。
そして、それは、いつか会うかも知れない本当に好きな男性が登場した時にその男を自分のものにするための、仮想の理想的男性を巡る果てしなく、緻密な争いを永遠と思えるほど続けることになるのだろう。
その地盤を作っているのが、「結婚相手(男)によって、人生が大きく左右され、それによって、『勝ち組』になれるかどうかが決まる」という日本社会の伝統的で文化的な構造的問題である。
私の若いころに比べたら、かなり緩和されているのだと勝手に思っていたが、それは大間違いで、本当はこのことがもっと深刻で複雑なものになっていて、多くの女の子たちが、毎日の生活を緊張とストレスで、押しつぶされそうになっているのだと思う。
「勝ち組・負け組」という言葉が、流行って、普通に使われるようになった頃から、この精神的なプレッシャーが増えたように思う。
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