
母が私の姉妹たちに結婚前に言っていたのは、「生じては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」というような内容の話だった。姉妹たちは「時代錯誤だ」とか「いつの時代の話…」みたいに言っていたように思う。母は、大正生まれだったから、大正ロマンの影響はそれなりに受けていただろうし、五人兄弟の中で唯一の女の子だったので、遊びは男の子の遊びばかりしていて、周りからは多少乱暴にも見えたようだ。
NHKの「おはなはん」が好きで、私は母がおはなはんを見終わるまで、幼稚園に連れて行ってもらえなかった。この木に登っている姿が娘時代の母自身の姿と重なり合ったようで、「自分もお転婆だった」と話してくれた。軍人の恋人とのやり取りやその後の結婚のことなど詳しいことは覚えていないが、その軍人さんが母にはとびきり魅力的な男性に見えていたようだった。
そんな母でさえも、娘たちに教えていた「女の心得」は前近代的な古臭くて女性の権利など微塵もないようなものだった。結局、「女は何も考えず、自分の意志など持たず、一生男(親は父親、子は長男)の言うことに黙って従っていれば、幸せになれる」というものだった。
皆さんは、今この時代にはこの考え方は、もう全くなくなったと思いますか。それとも、まだどこかに残っていると思いますか。時代劇を見ていると知らず知らずのうちに忍び込んできていませんか。会社や社会の中にまったく残っていないと言えますか。
最近のフジテレビの事件を見ると、会社のトップはどうして男ばかりで、会社の中の論理も男の論理で、女性の扱いはどうして「性的な対象」で、被害者なのでしょうか。
大阪地検の女性検事の事件も、司法試験を通って、検事にまでなっている女性が、どうして、ただの「性的な対象」でしかないのでしょうか。知性も教養も資格も経歴も全く無視されたように、人権を守るべき検察でセクハラ事件が起こっているのです。
女性は今でも、自分の意志も考えも努力も才能も無視されて、ただの「性的な対象」でしかないのでしょうか。
女性の「人間としての尊厳」が認められる日は来るのでしょうか。「出産と育児」が女性の社会的な地位や立場や将来の設計を壊すものであるなら、少子化を避けることはできないだろうと思います。
すべての男も女から生まれたのです。なのにどうして、子ども生む、女性をさげすむようなことを有史以来延々と行って来ているのでしょうか。
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