
戦後80年の今年、原爆ドームが特別史跡になった。20世紀の遺構としては初めてのものなのだそうだ。
私の叔父はこのドームの横の第五師団の練兵場で、朝礼の時に被爆死した。朝の8時15分はちょうどその時だった。
遺体は小さな灰の山となって、整然と並んでいたと、骨を持ち帰るために行った祖父と母が話してくれた。「誰のものかはわからないけれど、わが子だと思って供養してほしい」と言われて、誰かの骨をわが子と思って、持ち帰ったそうだ。
私は、学区の小学校で、この叔父の話をさせて頂いている。でも、今年は色々な物価高で、広島への修学旅行ができなくなったとのことだった。とても残念なことに思った。
「原爆ドーム」の姿は、すごいといつも思う。他の形が想像できないほど、この形が「原爆ドーム」だと思わせる。ドームになっている部分の半球体をよく見ると、原爆が炸裂したであろう方向が少し凹んでいる。そもそもどうして、このドームが造られていたのか、そのドームが骨組みだけになって残っているのか…。不思議に思うけれどもこの形しかなかったかのように感じる。
広島県産業奨励館だったらしいが、原爆ドームとなるために設計され、造られたのかと思ってしまう。
選ばれた理由として、「象徴的な存在」とあるが、誠に「象徴的」である。
今核兵器を所持している国は多い。イランとイスラエルの戦争も、イランの核施設を狙ってのことだと聞く。その一方で、イスラエルは核保有国である。
核兵器を持つことが許されている国と、そうでない国。でも、核兵器を使用してもいい国は一つもないと思う。
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