
聖霊によって妊娠していたマリアをお嫁さんにしなさいと、ヨセフは御使いに言われて、マリアと結婚する。そのマリアが産む子どもがイエス様で、インマヌエル(神は我々と共におられる)という意味の子どもであると、伝えられる。
私たち人間は、苦しいことや辛いことがあると「神様助けてください」と思う人も多いのではないだろうか。そして、「神様、あなたはいらっしゃいますか?」とか、「どこにいますか?」と、思ったり、祈ったり、時には叫んだりすると思う。
聖書の答え、キリスト教の答えは、「あなたと一緒にいますよ」である。
クリスチャンになって、もう長くなったと言ってもいいのかも知れないけれど、これまでの間ずうっと感じて来たことが、「神様が一緒にいてくださる」ということだった。クリスチャンになっても辛いことや苦しいことや悲しいことやイヤなこともたくさんあることに、最初は「信仰持っても変わらないじゃないか」と思うことも多かったけれど、信仰持つ前と後での大きな違いは、「神様が一緒にいてくれる」という感覚だと思う。
人生は、苦しく辛く、厳しく、悲しく、不安や恐ればかりに思う。家族や友達や話のできる人や仲のいい人がいても、結局最後は一人なのだと思う。心の中にまで入って来て、寄り添って、一緒にいてくれるのは神様だけなのだと感じる。でも、この神様が「一緒にいてくれる」という感覚がどれほど大きな支えであり、頼りであり、幸せなのかと感じる。
【新改訳2017】詩篇23:4
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。
外国の映画とか見ている時に埋葬の様子が描かれていると、その後ろで聞こえて来る言葉がこの聖書の詩篇23篇の言葉であることが多い。
たとえ死ぬことになっても、神様は一緒にいてくださることをダビデ王は確信していた。これ程、頼もしく、力強い支えはない。
私は、自分がクリスチャンではなかった時のことを思い出す。その時に、自分一人であてずっぽうのヤマ勘で物事を判断し、決めていたいたのだと悟り、恐ろしくなる。
今はいつも神様と相談しながら、人生を共にしている。そして、苦しみや悲しみが無くなるのではなく、一緒に背負い、助けてくれ、励ましてくれ、慰めてくれる神様が一緒にいることこそが、最もありがたいことなのだと思える。
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