
さやさんという人が「核武装は安上がり」という発言をしたということをテレビで見た。「あの北朝鮮でさえ、核兵器を持っただけで、トランプ大統領と対等に話ができる」というようなことも話したとか。まったく、その通りだと思った。言っていることは間違いではないのだと思う。
でも、被団協がノーベル平和賞を取った時にわざわざ言うこともないと思う。
私も子どもの頃に原爆の話を聞いたし、小学二年生の時から母に連れられて8月6日午前8時15分の平和式典に参加していた。叔父が20歳の若さで被爆死したことを聞いて、慰霊に心を注いだ。
小学四年生の時から学校で正式に原爆の授業を受け、平和公園にも学習で行き、資料館に入って恐怖体験にも近い怖さを覚えた。
確かに、その頃にも「どうして日本は核兵器を作らなかったのだろうか」とか「今からでも核兵器を作って、アメリカに仕返しをしたらいいのに」などとも考えた。でも、核兵器は通常兵器とは違い、たとえ戦争でも使ってはいけない兵器なのだという思いの方が強かった。
日本に核兵器が使用されたことで、天皇も人間になる決意ができ、白旗を上げることができた。核兵器が使われなければ、戦争はその後も続いていたのかも知れないし、「本土決戦」「一億総玉砕」などと言っていたから、あきらめもつかなかったかも知れない。戦争継続による被害を考えれば核兵器をアメリカが使用したことは日本の被害を最小にとどめることができ、「安上がり」だったということなのだろうか。
そのために、広島と長崎の両方で即死し、その後徐々に死に、長年に亘り原爆病で苦しみ、二次被ばくした人や原爆二世や三世の人たちを合わせれば、50万人は下らないだろう人々の命や人生は「安上がり」だったのだと、言われているように聞こえる。
「日本も核武装すべきだ」というのもわからないではない。でも、金正恩のように核兵器で脅して、国民も近隣諸国をも不安にさせる人になりたくない。プーチンのように核兵器で脅して、ウクライナを侵略するようなロシアのようになってほしくない。
日本は核兵器を持っても、「抑止力としてしか使わない」のだと言うのも今はその通りだと思う。
でも、戦前の日本に回帰しようとしているような人たちに言われても、全然説得力がない。戦前の日本が第二次世界大戦をこのアジアで始めたのではなかったのだろうか。日本が核武装して、第二次大戦をやり直せば、勝てるのだろうか。
正しく、学び理解し、反省し、悔い改めたのなら、少なくとも戦前回帰など思いつくはずもない。そうでないのなら、日本の子どもたちはこれからも戦争責任を背負わなければならなくなる。
だから、未来に向けて新しい「平和国家」を目指すべきだろう。そこに「核兵器はあってはならない」のではないだろうか。核兵器をなくすために、核兵器で脅すのではなく、核兵器を必要としない世界を作ることを目指すべきなのだと思う。それは、途方もなく困難で、面倒で、無理に見えるし、現在はいよいよ無理な気がする。単なる「きれいごとの夢想」のようにも思える。しかし、「核廃絶」が夢想なら、全面核戦争(世の終わり)は現実になるだろう。
だから、核武装をするということを考えることができない。私は弱虫で、仇討ちも仕返しもできない情けない者なのだろう。核攻撃されても、打ち返すためのボタンを押すことはできないと思う。
でも、「第二次世界大戦の死者〇〇〇〇万人」みたいに、「被害者」と「加害者」を一色たの一纏めにして、まるで戦争を「自然災害」か何かのように誤魔化すほどの卑怯者にはなりたくない。
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