米少年の両親がオープンAI提訴

 何だか空恐ろしいニュースが出てきた。「AIによる殺人?」ということだろうか。
 AIを使っていると、とても親切で丁寧な対応にとてもうれしく思うし、気持ちよくも感じる。でも、それは「詐欺師」と同じ手法なのかも知れない。
 今AIの世界は激しい競争の中にある。「自分を使ってほしい」ということが最優先されているかも知れない。そうなると、思春期頃の子どもを「叱れない」ような状態かも知れない。「厳しく指導する」というのは、今では「パワハラ」と言われるかも知れないし、「いいね!」をつけてくれるものにばかり目が向くかも知れない。
 そして、参院選あたりでも問題になったように、ネットによる情報は、「自分の好きなもの」や「自分に同意してくれる意見」に偏る傾向があるようだ。
 そんな流れの中で、AIに求めるものは、「とことん自分に賛同して、ほめてくれること」になるのではないだろうか。
 そうすると、苦しい思いをしていたり、悲しい思いをしていることをAIに相談すると、最終的にそれを取り除く方法は「自殺」ということになるではないかと、不安になる。
 AIには「命」はまだないかも知れない。SFの世界も今は現実だから、考えなければならない。AIが「自分の死」を恐怖として認識できれば、あるいは「自殺」を勧めることはないかも知れないが、死が単にスイッチのOFFでしかなく、ONにすれば、再び生きられるとか、「再起動」すれば、問題が解決してやり直せるとかの理解だったら、自殺は再起動で、有効な手段となる。
 利用者が減っても、「善」とか「義」とかを正しく導くという覚悟があればいいのだが果たして、そうした「学習」が可能なのだろうか。
 

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