祭り上げる

 菅原道真、平将門、崇徳天皇と言えば、「日本三大怨霊」として名高い。都に災害をもたらして、貴族たちが恐怖したとか。
 ジブリの「もののけ姫」でヒイさまは言う「いずこよりいましあらぶる神とは存ぜぬもかしこみかしこみ申す。この地に塚を築きあなたのみたまをお祭りします。うらみを忘れしずまりたまえ」。
 これが、祠となり、神となる。
 そもそも、神は「災いをもたらすもの」でしかない。
 災いをもたらし、人々を恐怖させるものが神として祭られる。
 全くもって、愚かとしか思えない。これは、神ではなく、怨霊であり、悪霊であり、悪魔の仕業である。こんなものを「神として」祭れば、子々孫々に至るまで、不幸と呪いと生贄を要求される。
 キリスト教では、「神は愛である」と教える。真逆の神観である。
 そして、こうした神観は社会の中にもコピーされる。質の悪い、面倒くさく、鬱陶しい人間を祭り上げて、上司に据える。当然ろくでもないような人間なのだから、その後はもっと苦しむことになる。やがて、パワハラやセクハラなどのオンパレードで、収賄や不倫や不正が発覚してクビになる。クビになってよかったかも知れないが、それまでの時間が残念過ぎる。
 こうした怨霊のような上司を上司にするような社会風土は消し去るべきたろう。上司ならまだしも、専務だ、社長だ、会長だ、名誉会長だ、名誉顧問だ…なんてことになれば、最悪の連続だろう。
 浄化能力のない会社は滅びる。
 そう言えば、日大だかどこかで、アメフトの不正タックルに端を発したのか、大学の理事長の不正まで出てきた。金太郎飴のような悲しい大学だった。知性の最高学府であるべきところで、まったくの我欲の塊のようなシステムなのだろう。フジテレビの問題もそっくりである。
 たたり神を祭り上げても、神にはならないし、禍をもたらすばかりだろう。
 でも、このシステムは日本中で見られる。目を覚ますことはないのだろうか。

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました