鬼滅の刃ー現代にも鬼は棲んでいるー

 今鬼滅の刃の無限城篇第一章が上映されている。見に行きたいけれど、病弱な私は行けない。
 鬼滅の刃は大正時代が現場となっているようで、大正ロマンの雰囲気もとても楽しい。両親が大正生まれだったから、「ハイカラさんが通る」のイメージを持っていたようにも思えて、懐かしささえ感じる。
 遊郭篇の中に登場する妓夫太郎(ぎゅうたろう)と堕姫(だき)の兄妹の話は可哀そうすぎる。「遊郭」「花街」「色街」「赤・青線」「風俗」「売春」「トルコ」「強姦」「レイプ」等々が本当にツラく悲しい。人間の「欲=呪い」の表出そのものだからだろうか。幕府公認の吉原などの存在はただの歴史や文化では済まない汚点だと思う。それを日本人は『呪い』として背負い続けていかなければならないだろう。
 子どもの頃に見たドラマや映画の中で、そういうシーンがたくさんあった。これも「昭和」ならではのことのように思う。
 何がイヤなのかと、考えると「人身売買」にたどり着く。現代にも誘拐・人身売買・性奴隷につながるものがあり、同時に「臓器売買」へと至るように見える。
 今でも、CMの中で高麗人参を手に入れた娘に、「お前一人に苦労を背負わすのは…」的な言葉が並ぶ。
 子どもの頃見たドラマの中で、貧しい家庭の娘が自ら花街に身を堕とすことが、『美徳』のように語られていた。こんなものが『美徳』であろうはずがない。

 炭治郎の言葉は優しい。「鬼も元は人間だった…」。
 「鬼滅」というが、本当は一体何を斬っているのだろうか。「鬼になった人は本当に悪いのか」という命題を突きつけられるようだ。その人が悪いのか、そんな社会システムやそうしたシステムを作り上げた人たちなのか。
 鬼舞辻無惨は「絶対悪」なのだろうが、彼も病弱で苦しむ。「長生きがしたい」という悩みから、鬼になる。「人の命を奪っても生き続けたい」という思いが「絶対悪」なのだろうか。
 「人身売買や臓器売買」の話は悲惨過ぎるし、残酷過ぎる。現代に棲む鬼がいるとしたら、そういう人たちのことだろう。私たちは彼らを、そして自分の中のその思いを「斬れる」のだろうか。自分ではなく、「愛する者」を救うためにだったら、人の命を犠牲にするのか。

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