都鳥で泣きますか?

――― なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、渡し守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ、魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
 名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。―――

 高校の古典の授業で、この「都鳥(本当はユリカモメらしい)」を見て、都から離れた地でも、「『都』鳥」という鳥がいることを知っていよいよ都と都に残して来た人たちを思って、さめざめと泣いた、という話を聞いた。
 一番最初に思ったことは、「男のくせに何を泣いているのか」と本当にばかばかしく、にがにがしく思った。そもそも自分で決心して旅に出たのだろうに、男らしくなくて、本当に情けなく思った。
 私の姉や兄でさえ、十八くらいで、大学入学のために家を出て遠方で一人暮らしをしているのに、何で「こいつらは大の男のくせに泣いているのか」と、とても不愉快に思った。
 どうせ、平安貴族などひ弱で、戦国時代も知らなければ、武士でもない。戊辰戦争も知らなければ、日清、日露、第一次、第二次大戦も知らない「大たわけの腑抜けの腰抜けばかりだ」と思った。

 ところが、次の瞬間「あれっ?」と何か感じるところがあった。
 「いやいや、もしかしたら、こっちの男の方がまともなのではないか…」。逆もまた真なり(当てはまっているかわかりませんが)。

 小さい頃から、「男らしくせよ」とか「男は泣くな」とか「男は強くあれ」とか「泣き言を言うな」とかとか…。ずうっとそんな雰囲気だったし、広島でやくざも多く、「泣くとか逃げるとかありえん!」と言われていた。「負けた時は死ぬときと思え」とか「ハラをかっさばいて、潔く死ね」とか言われていた。
 でも、もし男でも泣いていいのなら…。とても楽じゃないだろうか。そんなに強がって、意地を張って生きなくてもいいんじゃないだろうか、と思った。
 どうせ、第二次大戦の時に偉そうなことを言っていながら負けて、「結果がすべてだ!」とか言っていたくせに、負けたのに、それさえも認めず、潔くない、男らしくない、卑怯者の言うことなんか聞きたくもない、と思って、「平安貴族に軍配を挙げる」ことにした。

 男も泣いていいんだ。男も泣こう。大いに泣こうと決めた。しかし、決心はしたものの本当に泣けるようになるのには時間がかかった。

 「女はこうあるべき」という呪いから解放されてほしいと思っています。でも、男の方も「男はこうあるべき」という呪いから解放されなければならないと思います。

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