
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。
私はこの方丈記の言葉がとても好きだ。キリスト教的なのか、どうなのかと聞かれると、人生の儚さは、キリスト教でも大切なテーマである。むしろ、人が罪を犯したことによって、「死」が入って来たという点から見れば、キリスト教の根本的なテーマである。と、同時にだからこそ、その問題の解決方法もキリスト教は示している。
一点、「イエス様をキリストとして信じること」である。
だから、それを「無」とか「空」とか「空虚」とか「虚無」という仏教的な理解とは違う。
人の世は儚いものであっても、全面的に肯定的で、例えそれが、中途半端な結果であったとしても、神はその人の人生を肯定的に見てくださる。しっかりと一生懸命生きて行こうという意志は、必ず神は認めてくださる。
誰しも、頑張ろうと思ったり、誰かのために何かをしたいと思っている『愛』の心を、神様は決して見落とすことはない。
『愛』は決して空しいものではない。逆を言えば「空」を埋めることのできるものこそが『愛』である。
すべての人の誠実な思いを、神様が見逃すことは、決してない!


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