ナイジェリアの宗教的虐殺

 トランプ氏がSNSで、ナイジェリアにおける「キリスト教徒の大量虐殺」を批判したというニュースが流れて来た。
 日本に住んでいると歴史の中で、キリシタンの迫害のことを学ぶ。そして、明治時代になって、高札を下ろして、キリシタン迫害をうやむやにした。しかし、第二次大戦の時に、再び迫害されることになる。
 大日本帝国憲法は、表向きは「信教の自由」をうたっていたが、現実的には「国家神道」の強制をしていたし、戦前はキリスト教だけではなく、創価学会や天理教なども迫害し、拷問にかけたりもしていた。共産党も思想犯として、投獄された歴史を持つ。
 その脅迫にも近い弾圧は現代にも続いているようだ。
 二十年ほど前に出会った姉妹は、クリスチャンになったことを母親と祖母に伝えたら、涙を流して、「なんて怖ろしいことをしたの…」と言われて、「今はそんな時代じゃない」と言ったそうだけれども、とても心配して、結婚もできなくなると考えていたようだ。
 日本で、クリスチャンが少ないのは、先進国としては珍しいと言われているみたいだが、こんなひどい迫害をして来たのだから、当然と言えば当然のことだろう。
 アメリカはキリスト教の国である。大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。だからと言って、宗教や思想だけで差別や迫害はしない。勿論「テロ」に対する警戒も強く、排除にも徹底的に攻撃をするが、自由の国であることは変わらない。
 「思想、信教の自由」は先進国の証である。しかし、この国は「忖度」とか、ハラスメントとか、歴史とか、伝統とか、文化という名前で、国家神道の亡霊を守っている。
 私の伯父は、金鵄勲章をもらったほどの軍人であったが、死後靖国神社に祀られることを願っていなかった。
 「人殺しの殺人者を神社に祀っても、救われるわけがないじゃろう。あんなのは本当の戦争の首謀者と戦争犯罪者の自己満足と自己正当化じゃけんのう。それでも、わしも靖国神社に祀られるんじゃろう。仲間と戦死したら、『靖国で会おう』と言っとったからのう。まぁ、国が勝手にやるんじゃろうのう。」と言っていた。
 国家神道という宗教によって、人の心を縛り、戦場へ送ったこの国の罪は戦後に償われたとは思えない。戦後に戦争トラウマに悩まされた者や、「人殺し」と呼ばれたり、家族を失った人たちや人生を失った人たちに、きちんと向き合い、保障をしたわけではない。
 戦前の日本は、国家カルトだったと言える。今のイスラム教徒の国の中にも、そのような国があるとしたら、許されるべきではない。
 だからと言って、イスラエルのようにイスラム教徒を皆殺しにするようなことも同じく許されない。
 トランプさんが言っていることは、本当はどうしようとしているのかは、これから見極められるべきものだと思う。
 ただ、思想や信教はどのような場合でも個人の自由と尊厳は、絶対的に守られるべきである。いじめや差別やハラスメントや忖度等々はこれを軽んじていることを意味しているだろう。とても「精神的先進国」とは言えない。

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