
昔、結婚式の司式のアルバイトをよくしていた。その時にしていたメッセージの中に、この「愛と信仰」のことを話すことがあった。
結婚する二人が、幸せになってほしいという思いから、どうしても起こる「すれ違い」を修正してほしいと思っていた。自分も何度もこの「すれ違い」にぶつかった。それはきっと、恋愛期間をも含めて生じる二人の問題であり、大きくなると崩壊を招く危機にもなるだろう。
そんなことが少しでも、避けられるといいと思った。
「『愛』を受け止める方法は『信じる』ということです」というお話です。聖書の中で、イエス様は最後の晩餐の中で、弟子たちに「互いに愛し合いなさい」と教えました。でも、これは少し難しいことで、その前にもう一段階挟む必要があると思います。それが、「愛されたら、信じる」ということだと思います。
この「信じる」が自然にできるようになると「愛し合う」ことができるでしょう。
結婚する二人に、「まず、愛されたら、信じましょう」と話しました。そして、「信じる」ということには力があって、時には愛していない場合でも信じられると愛してしまう、つまり、信じることで「愛を引き出す」こともできる可能性がある、と話しました。
その逆にどんなに愛しても、相手が信じてくれなければ、愛は素通りしてしまい、虚しいものになってしまいます。
恋愛時代にも危機が発生することがある。その危機とはほとんど「不信感」から生じると思います。そして、それは、決して恋愛だけではなく、親子関係、兄弟姉妹の関係、友達関係、上司と部下、先輩と後輩などほとんどすべての人間関係にヒビを入れ、崩壊を招くでしょう。その時にそれを回復することのできる方法は「信じ合える」ということだけだと思います。
軍隊のような上下関係が明確な組織であっても、人間関係である以上「命令と服従」という関係の根底に「愛と信仰」の関係が無ければ、最終的に追い詰められた時には、「逆らう」ことになるでしょう。人間関係の根底には「愛と信仰」がなければ、成り立たない。
つまり、イエス様が教えた「互いに愛し合いなさい」は同時に「互いに信じ合いなさい」ということを意味しているのです。そして、それは「愛すること」=「信じること」であることを意味しています。
「愛されたら、素早く信じて、その愛に自分の愛を加えて、再び相手に返す、それを相手も素早く信じて受け止め、更に愛を返す」。その繰り返しが「互いに愛し合う」ということだと思います。


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