
更級日記を読んでいると、妻が「そんなにわかるの?」と、声をかけてきた。私はハッとして、我に返った。丁度「乳母と藤原行成の姫様」が亡くなったという話を読んでいたところだった。
「あ、はい…。」しどろもどろな感じだった。菅原孝標の娘の話に引き込まれていた。
そう問われて、この筆者の女性に、この少女に魅了されていることに気が付いた。「とてもかわいい。」「とても素敵だ。」と思った。
高校生二年生の文化祭の時に、私は綿火薬で顔を大火傷して、ステロイド薬を顔全体に塗ってテラテラと光っていた。それでも、針金細工を作ることで部費を調達したいと思っていた。文化祭は二日あったが、初日に私の針金細工のネームを買ってくれた女の子二人が翌日また来てくれて、私の傍に座ってくれて、なぜかお手伝いをしてくれた。
その子たちは、小学五年生だった。一人は知的な感じの美人でとても賢く、お金のやり取りなどをてきぱきとしてくれた。もう一人は大人しかったけれど、穏やかで可愛い感じの柔らかい美人な子だった。
何が気に入ったのかわからないまま、朝からずうっと付き合ってくれて、文化祭はとても楽しく想い出に残るものとなった。
今回、更級日記を読んでいて。その子たちを思い出した。小学五年生の女の子はとても可愛いと思っていた私には、更級日記の孝標の娘が今の小五と同じ十一歳だったのだと思った。1008年に1歳ということは、「数え」で一歳ということだと思う。今は生まれた年は0歳だから、1~2歳のずれがある。
女の子は女の子である、それだけで、私にはとても可愛く素敵な存在に思える。この更級日記の筆者はとても素敵に思えてしまう。聖書的には、女性は神の創造したものの中の『最高傑作』である。
彼女は、優しく、心豊かで、憐みを知っていて、情に厚い。賢くてとても可愛い。女の子ってなんでこんなに可愛いのかと思ってしまう。
「文学少女」なんて言葉が、子どもの頃にはよく聞いたように思ったけれど、その文学少女の素敵さに当てられています。
二度と会うことのできなかったその子たちに心からの感謝をお贈りします。


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