『分かる』って?

 子どもの頃から、英語の「understand」の「下に立つ」という言葉がどうして、「わかる・理解する」という意味になっているのかわからなかった。ネットで検索すると、スタント・リトーレという人のブログに、「ある人々を理解するには、外から中を覗くのではなく、彼らの中に立つ必要があります「To understand a people, you must stand among them」。とても美しい言葉です。」とあった。「under」には、「下に」という意味よりも「間に」とか「中に」という意味があるのだそうだ。
 それに対して日本語の「わかる」は「分かる」という事なので、「分ける」という意味なのだと思う。
 あまり、きれいではないが、「クソミソ」という言葉がある。見た目だけで判断をして、区別できない愚かさを批判している言葉だと思う。
 また、少し前に流行った「究極の選択」というものに、「カレー味のウンコとウンコ味のカレー」というのがあった。ウンコは毒で死ぬかも知れない。そんな中で、理性的に考えれば、「ウンコ味のカレー」を食べるべきなのだと思う。
 ここでは、二択だけれど、要はそれぞれを正しく理解して、区別することが必要なる。その時に、見た目とか味とは匂いという五感ではなく、「理性」あるいは「知性」を働かせて、選択をすることが大切であると教えているのだと思う。
 「良薬口に苦し」という言葉もある。苦い物は口にしたくない。でも、それを「薬」と理解するからこそ、「苦い薬」を飲むことができる。ここに、『理性』が存在していると思う。

 牧会心理学の授業の中で、宣教師の先生が「相手を理解するためには、相手の靴に足をいれなければならない」というお話をしてくださった。これこそ、「understand」という意味だったのだと思う。「相手と同じ立場(下)に立つ」ということこそが「相手を理解する」ということになる。

 日本語では相手を「分析して、バラバラにして、細かく研究調査して、判断すること」こそが相手を理解するという意味になるのだろう。

 以前に「三高」という言葉があった。「背が高く、高学歴で、収入も高い」人が彼氏、結婚相手にはいいそうだけれど、「相手の中身」は何も問われていない。「相手の中身」に対する「understand」は存在しない。「中身」も「わかる」方がいいと思うけれど…。

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