カースト制

インドには今もこの「カースト」があって、とても複雑に分かれた「上下関係」を基にした「身分差別」であることは、皆様も御存じのことと思います。
小中学校のの時、日本の江戸時代の身分差別は、それが元ににあった(影響を受けた)という話を聞いた。江戸時代はひどい時代で、この身分差別が明治維新でなくなるかと見えたが、「四民平等」と言いながら、「華族」とか「士族」とか「『新』市民」とかの呼び方は残った。第二次世界大戦後、ようやく平等を掲げてのスタートとなったが、部落や在日韓国人などの差別は残ったままだ。
人はこの「上下関係」のある「ピラミッド型社会」が好きなようだ。二人いれば、上下関係ができ、三人寄れば、ピラミッドができる。
小店主であっても、中小企業であっても、家族でさえ、このピラミッドの社会をつくりたいみたい。そういう特に小さな社会のトップのことを昔はよく「お山の大将」だと言った。
本来は子どもの遊びで、公園などの高いところを占拠して偉そうぶる子どものことを意味していたと思いたいが、これが大人の世界にもあって、適用されるのは悲しい。
そして、小さい社会のはずなのに「生殺与奪の権」を持っているようにみえると、笑いごとではすまない。
「からだは子ども、頭脳はおとな」ならいいが、「からだはおとな、頭脳は子ども(やることが子どもじみているというくらいの意味で)」では、周りがたまったものではない。
最近のバッハさんの話を聞くと、そんなことを考えさせられる。「もうやめたら」と日本人しか言わなかったらしい。

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