孔子は、周王朝を理想的な国家として、国や人のあり方を説いたらしい。中国では、春秋時代色々な国が乱立し、やがて秦という統一国家もでき、その国家も何度も入れ替わって来た。大体300年くらいでしょうか。
そんな中で、王の身勝手なやり方に振り回される庶民はいい迷惑たろうし、時には虐殺もあった。
四人組の時みたいに、「うるさい知識人」を抹殺したい為政者も多かったのだろう。
「焚書坑儒」のように、知識人を黙らせたい。
韓ドラを見ていると、王様も「儒教」に縛られて、身動きが取れない。それで、ひたすら「聖人君主たれ」と周りに言われる。悪い事ができなかったのは良かったように見えるし、「聖人君主」だったので、国民も我慢したのだろうか。王朝が長く続く。
大学を読んでいると「君主」と「君子」の区別が曖昧に見える。確かに「為政者」を表す時は「君主」と書かれていて、「徳のある識者」を表す時は「君子」になっているが、その話が「あざなえる縄のごとし」で、何となく「君主」=「君子」と、わざと混同させようとしているように見える。
この「君子」は、プラトンの「哲人」で、要は「君子政治」とは「哲人政治」を意味しているように思える。
これは、現代でも「政治家に望まれている資質」なのではないだろうか。
政治家の資質が問われる時、「君主=君子=哲人」然としていてほしい。
総理大臣や大臣や都道府県知事や市町村長たちの「首長」たちに求められている資質のように思える。
コメント