神と富

【新改訳2017】マタイによる福音書
6:24 だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。
6:25 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
   ーーー中略ーーー
6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。

『神』と『富』。日本語だと韻を踏んでいるので、面白いですね。ギリシア語だと富は『マモン』と言われています。そこからなのか、マモンという悪霊の名前だと言う人もいます。『仕える』わけですから、人格のようなものを持った悪霊の方がいいと思うのでしょう。
『富』を求めてはならないという教えですね。でも、面白いのは、『神』を求めると『富』は自然に与えられるという教えです。
「金持ちは罪」と以前に書きました。お金を持っているだけだと、罪びと扱いになります。でも、その富を神様のために使えば、罪びとではなく、『善人』あるいは『聖人』にもなれるでしょう。そういう人はさらに富が祝福されるでしょう。

でも、お金持ちであることが、『善人』や『聖人』の証にはなりません。肝心なことは、神様の祝福によって、富んでいることと、その富を神様(困っている人)のために使っているかです。
逆に貧乏であることが、罪びとの証拠でもありません。貧乏であるだけで、天国に行けるからです。

『か』と『と』のわずかな違いですが、「神に仕える」か「富に仕える」かで、天国と地獄という途方もない違いになります。

「神に仕えて、富を得て、天国に行く」というのが、最善の選択だと思います。

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