二大政党制の末路

むかし、むかし、自民党が過半数割れをした時、連立を組む形で、村山富市氏「とんちゃん」が総理大臣になった。
今、国民民主党がキャスティングボードを握る形で、石破茂氏が総理大臣になっている。
この状態を見ていると、トゥームレイダーの「光のトライアングル」を思い出す。二つの大きな欠片では機能せず、三つ目のほんの小さな欠片が物を言う、みたいな感じ。
アメリカの大統領選を見ていて、たった一人の人がとても大きな力を持つ大統領制には、恐怖を感じる。独裁的王政を廃止して、民主政府を手にしたはずなのに、民主政治が独裁者を生み出している。
共産主義の成れの果てが、ロシアと中国と北朝鮮で、どこも独裁者の国だ。
人類は理想に燃えて、革命や民主化運動を起こしても、結果的に独裁制を求めているように見える。
かつて、小泉純一郎総理が、「首相の公選制」を求める発言をしていたが、そうならなくてよかった。ガンダムseedディスティニーのデュランダル議長を独裁者にしなくてよかったように。
かつての王政は武力を持って、勝敗を決し、大量の死人の山を築いて来た。それが、「選挙」という方法で、血は流れないとしても、少数者を奴隷化することがあれば、王政と同じことだ。
国も世界も何者かの強者のものでも過半数者のものでもない。
どこまでいっても、世界は「みんなのもの」だ。

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