「仮面ライダー」がテレビで放映された時、日本中の子どもが夢中になった。でも、たぶん男の子の方だと思う。それ以上に「変身」という言葉の方がはやっていたと思う。
この「変身」は日本のアニメやドラマや映画や多分文学的に要素のあるものの中に大量に取り込まれているように思う。
でも、「変身したい」のか、というよりも、「本当の(オレ・ワタシ)は…」という気持ちの方が強いように思う。
男の子の場合、「仮面ライダー」も「レンジャー」もので、女の子の場合は、昔は「魔法使い」ものだったけれど、最近は「プリキュア」のような戦闘ものも増えた。でも、「タイガーマスク」も「パーマン」も変身ものだろう。大人の世界だと、「水戸黄門」も「遠山の金さん」も「裸の大将」も「窓際さん」も「寅さん」も…。そう言えば、「コナン」も「キャッツアイ」も、「変身」ものか、「本当の自分は…」ものか、なのだと思う。
この国では、「誰も自分のことを正しく評価してくれていない」と思っているのか、「自分が思っている以上に高く評価してほしい」と思っているのか、なのだろうか。
ただ、どのお話も最後に来ると、その主人公(たち)の中に、「愛」「正義」「慈悲」「優しさ」「あわれみ」等などの「思い遣り」が表現されている。
ガンダムシードの中には、「ジャスティス(正義)」と「フリーダム(自由)」の主役的ガンダムが登場するが、ラクスやカガリが示す「ラブ(愛)」のガンダムは登場しない。
今日は「アカツキ」の発売日らしい。
愛をもって、正当に評価してくださっているのは、神様しかいない。
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