AI vs. ヒト

「宮崎駿さんは、『手描き』にこだわった」と聞いた。特にこのカルシファーの原画にはほとんどご自身で手を入れたように聞いた。
写真がなかった時代は「画家」が、肖像画を描いて残した。そのために絵画の技法はどんどんと進化していった。しかし、写真ができるようになると絵画の役割が変わって行き、印象派のような心象表現や抽象的絵画が増えた。中には、写真の修正技術などをバネに「スーパーリアリズム」のような「写真以上の絵画」も一時期登場した。
現代は「AI」の時代のようだ。これはもちろん絵画だけではくあらゆる分野に進出して来て、「ヒト」の仕事を奪っていくことになるだろう。
それでも、写真も動画も、イラストも、相変わらずの「肖像画」も、同時並行的に存在しているから、「AIの絵画」もやがては並行的に存在することになるのではないかと思う。というか、これは単なる淡い期待なのかも知れない。
「ヒトとAIが共存する世界」が、「AIに乗っ取られない世界」であってほしい。
それにしても、高校生のバイトの「レジ打ち」が殆ど見られなくなったことは、彼らのお小遣いを奪っているように思う。
「どんな世界を望むのか?」というところに、一番大切な意味があるように思う。
「君たちはどう生きるのか?」とか、「モンスター」の最終回で、「幸せとは何ですか?」ということを、もう一度考えた方がいいと思うし、今度は「誰か偉い人」に頼るのではなくて、「自分自身」で「世界中のひとりひとり」が考えなければならなくなって来ているように思うし、「考えて主張する権利がある」と思う。

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