現代版『生類憐みの令』

愛猫家の人や愛犬家の人も、日本でも多くなっているように思う。こういう党を作りたいというのも面白いと思う。
高校生の頃、太宰治の「畜犬談」というのを読んだ。題名その物に抵抗があった。「畜」の字は「畜生」の「畜」のようで、そこまでひどい言い方をしなくてもいいように思った。でも、当時犬が好きではなかった私には、「犬を飼う」とか、「可愛がる」という気持ちにはなれなかった。
野良犬がたくさんいて、中には「狂犬病を持っているかも知れない犬」もいるから、「野良犬には近づくな」と厳しく言われていたので、子ども同士で野良犬を見つけるとみんなで石を投げつけて追い払った。ある時、兄が犬に追いかけられて噛まれる寸前にまでなった時、石を投げつけようとした人がいて、辛うじて犬を追い払うことができ、兄は無事だった。
また、やくざの人が土佐犬を飼っていて、その犬で人を怖がらせていたりもした。
そんな時代に生きて来たせいか、以前よりは犬を可愛いと思えても未だに「飼いたい」とは思えない。どこかコワイ。トラウマなのかも知れない。
学生の頃、チャウチャウという中国の犬が紹介された時に、ハイジのヨーゼフのようで可愛いと思ったが、「食用」だと聞いて、驚いた。その後、中国人の若くてとても美人の女の子に聞くと、人差指を横に舐めながら「う~ん、美味しい!」と言われ、思いっきり引いたことがあった。さらに韓国の人に聞くと「いや~、美味しいよ。スゴく目にいいんだ。夜でも、遠くまではっきり見えるようになるよ。犬のように。」と聞いて、更にドン引きした。
犬の好きな面もわかるけれど、食べたいほど好きにはなれない。
でも、これも歴史と文化なのだと思う。
NHKの番組に「サカナ★スター」というのがあって、たまたま時々見る。野々村真さんのお嬢さんのかのんちゃんが、とてもカワイイ。それとは別に、さかなクンが好きだ。彼のいいところが、大好きな魚を徹底的に研究し、説明して、番組最後に美味しく料理したものをとても喜んで食べているところかな。「食べたくなるほど好き」というのを実践しているようで。
子どもの頃、「鶏は玉子を生んでくれるから、飼いたい。」と言った時、母親がさらっと、「玉子を産まなくなった時に『〆て』食べられるのならいい。」と言われて、固まった。母はその時、「動物を飼うのはね、最後まで面倒をみることができないとダメだから、あなたには無理。」と言われた。飽きっぽい性格で、ダメという意味だと思ったら、「弱っていって、死んでいく姿を見るのは、とてもツラくて悲しい。なかなかたえられないよ。」と、付け加えてくれた。

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