なんだろう…

紹介してもらって、この本を読み始めた。
序文の中に、「チャーリィ・ゴードンを自分の身におきかえて見た」ということが書いてあった。本文を読み始めて、この登場人物が「あたまのわりい」人なのだとかわかった。そうするとやはり私もこの登場人物と自分を重ねてしまう。
私は子どもの頃、本当にバカだったのだと、学生の頃、気が付いた。私は自分のことを「あんた」だと思っていた。姉たちが私のことを「あんた」と呼ぶので、自分のことを「『あんた』は…」と言って話していた。その内、姉たちは私のことを「あんたちゃん」と呼ぶようになり、私いよいよ自分は「『あんた』ちゃん」なのだと思うようになった。
大学が教育学部だったこともあり、発達心理学などを習うようになって、自分の精神的な発達にも疑問を持った。
このチャーリィ・ゴードンのように、私は字が読めなかった。漢字を習ってもなかなか身に着かなかった。音読が当てられて、ひらがなだけを読んで、笑われたこともあった。その上、ひらがなはひらがなで、どこで切ったら、一つの意味になるのかがわからずに、変なところで切ることも多かった。更に、漢字はとても不思議だった。どうして同じ字を色々な読み方をするのか、理解できなかった。それも、訓読みはいよいよ難しくて、文脈で読み方が変わった。どれが正しいのか、なかなか理解できなかった。
でも、先生という立場になった時に、この「自分はバカだった」というのは、とても役に立った。子どもたちが「なぜわからないのか」「どうして間違うのか」ということが、とても身近に感じたからだ。

【新改訳2017】ヤコブの手紙
1:5 あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。

聖書で、この言葉を見つけた時、私は「救われた」と思った。そして、その時から今まで、ずうっと求め続けている。
もっと、もっと、このチャーリィ・ゴードンのように、「かしこく」なりたい。

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