
久しぶりに、第二次大戦の映画を見た。子どもの頃はしょっちゅうこうした話題に触れていて、懐かしささえ感じた。
岡田准一さんがカッコ良かった。彼の演じる宮部さんと私の伯父が重なる。伯父は、特攻隊員ではなかったけれど、戦争に行って、いつも考えていたのは、「生きて帰る」ことだったと、話してくれた。「自分は長男だから…」が理由だった。伯父は「戦争していると、みんな死にたがっていた」と教えてくれた。「死ぬことしか考えていない人間が勝てるわけがない」と。「勝機は生機だ」と。「生きたいと考えるから、知恵も湧くし、勝機も生まれる。死ぬことばかり考えているヤツは、『万歳突撃』しか考えてない。あれで勝てるわけがない」と話していた。
伯父は、生きて帰ることを考えて、知恵を絞り、銃の腕を上げ、金鵄勲章まで取った。二回か、三回中国へ行って戦争をした。
この映画か、この物語は、何が言いたいのだろうか。戦争ものを見ていると、作者の意図が気になる。
映画の中で、「自爆テロと同じだろう」という言葉が出て来る。「違う」と三浦春馬が応える。私は同じだと思っている。自爆テロを起こしたイスラム教徒も本気で、国のため、神のためと思っていただろう。特攻隊員とどこが違うのだろうか。勿論、どちらも赦されることではない。
しかし、戦後になって、天皇は「人間宣言」をした。日本の神は死んだ。自決するよりも、生きる方を選んだ。イスラム教徒の方が幸せだと思う。彼らの神は今も生きている。
私の伯母は、ある時テレビを見ていたら、昭和天皇が映ったことがある。その時、私の目の前で、急に怒りをあらわにして言った。「こいつが悪い。こいつが悪い」と。
私たち子どもの前では、決して見せたことのない、純粋な怒りを爆発させた伯母を生まれて初めて見た私は、全身が固まった。
戦争をほんの少し早く止めていてくれたら、叔父は被爆死しなくて済んだ。二発も原爆を落とされなくて済んだ。その間に、天皇は国体=自分を守るために走り回っていたと何かの本で読んだ。
「生きて帰りたい」という強い思いを持った者も、天皇のため、お国のために、特攻作戦を決行して、死んでいくという選択をすれば、生まれ変わって、残して来た家族は幸せになれるからという迷信じみた話をしたいのか。戦争を美化したいのなら、やめてほしい。伯父を汚されているように感じる。
私は、国のために命がけて戦い、武功立てた伯父が、戦後に「人殺し」呼ばわりされて、言い返すことなく黙っている姿を潔いと思った。これぞ、日本男児だと思った。私にとって伯父は憧れだった。その伯父が、「今は戦争がなくていいな」と言った。
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