『聖地』はない!

【新改訳2017】ヨハネによる福音書
4:20 「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」
4:21 イエスは彼女に言われた。「女の人よ、わたしを信じなさい。この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
4:23 しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」

エルサレムを巡る攻防が未だに続いている。エルサレムは三大宗教「ユダヤ教・イスラム教・キリスト教」の『聖地』だと言われている。そして、それを強く印象付けたのは「十字軍遠征」だろう。「聖地奪回」とでも思っていたのだろう。全くもって、愚かであり、聖書も神の御心も全く理解できていない。
もし、『聖地』があるとしたら、クリスチャン一人一人であり、知らずに礼拝している人たち一人一人であろう。だから、場所は関係ないのだと、イエス様は言っておられる。

なのに、未だにキリスト教界は「エルサレムが聖地」だと思い込んでいたり、エルサレムに行くことが何か特別なもののように思っている者もいる。
歴史的文化遺産としての価値があったとしても、信仰的な意味はない。
クリスチャンであると自認するのなら、イエス様の言葉に真摯に耳を傾けてほしい。

もし、エルサレムを聖地だと思い、エルサレムに行くことが特別であり、行ったことで何者かにでもなった気になっているとしたら、それこそが「偶像礼拝」でしかない。

大切なのは、「御霊と真理による礼拝」である。

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