黄帝紀元4722年

 起源説とか言われているものなのか、今年は「皇紀2685年」に当たるそうだ。西暦はキリストの誕生を基に作られたから、それよりも660年前に神武天皇が誕生したと言われる時を基にして考えているそうで、私が子ども時は親が「天長節」とか「紀元節」とか「皇紀○○○年」とか言っていた。
 最近、道教に関する本を読んだら、「黄帝紀元」というのが出て来て、今年は「4722年」になるようだ。昔テレビのコマシャルか何かで、「中国4000年の歴史」と言っていたけれども、それに比べて日本の歴史は半分ほどしかない。確かに現代アメリカの200年程しかないのに比べれば、十倍はあると言えるのかも知れない。
 その道教が実に面白い。中国では長年に亘って、儒教・仏教・道教の「三教」が競ったり、融合したりしながら歴史を作って来た。それらのものは、明らかに日本に入って来ているはずなのに、『道教』だけが見当たらない。絶対に三教とも入っていたのに、『道教』は伝わっていないように見える。
 しかし、『道教』は『道』の教えということだから、『道』に神を付けると『神』の『道』となり、『神道』となる。道教はかなりバリエーションの多い民間信仰のようなものもあの広大な中国で様々に変化している。が、道教に一番似ているのは、『神道』だと思う。
 つまり、儒・仏・道の「三教」が入って来て、儒と仏はそのままで、道だけが『神道(かんながらのみち)』と呼ばれて、あたかも日本の創始であるかのように見せているが、道教のパクリか改竄と言うべきだろう。
 そして、日本史の中で、『道教』についての学びがないのも奇妙に見える。
 老子の「道は常に無為にして、而も無不為」(道は常に何もしないで、しかし、何事もしないでいる訳ではない)などは、日本人の生き方そのもののように思う。そして、それは、神道の教えではなく、道教の教えである。「和風」とは「道(タオ)風」と言えるだろう。
 そう言えば、『道(タオ)』という、太鼓を叩くグループがあったような…。

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