
近所の三十石船の走る宇治川派流にもたくさんのアジサイが咲いていて、三十石船がいい感じで走って見えます。これから暑い日々が続く中で、少しは納涼の雰囲気がして気持ちいいですね。
先日から「女の子たちへ」と思ってブログを書かせて頂いています。キリスト教界は「男尊女卑」であったことと、今もその傾向が強いことを認めなければならないと思います。
しかし、これまでも書いて来たように、イエス様自身の教えからはとてもではないけれど、「男尊女卑」を勧めるようなものは無い。
しかし、世界、社会全体がそれまでの間、ずうっと「男尊女卑」であったのを「全否定することはできなかった」のだと考えられる。
イエス様の宣教生活を見ると、何度も人里を離れて一人になる時間を持っている。それは、イエス様の教えを人々が素直に聞かず、反発することから、身の危険を感じて人里を離れていたことがわかる。
「男尊女卑を否定する教え」よりも、「本物の救いを伝えること」を優先せざるを得なかったのだと考えられる。そして、「救われる」ことで、「男尊女卑」を改めることができるということだったのだろう。
しかし、それを教会は正しく理解せず、イエス様が明確に教えていないから、「肯定している」として、2000年間もの間、「男尊女卑」を見逃して来たのだ。
旧約聖書の天地創造から、新約聖書の黙示録に至るまで、そこに書かれている言葉が「男尊女卑的」に見えたとしても、神様=イエス様がそれを是認しているとは到底思えない。
私の信じる神は愛の神である。その神が「男尊女卑」に、男女を創造したとは、まったくもって考えられない。
過去において、教会は何度も間違いを犯して来た。今もこの「男尊女卑」を推奨しているように見えるとしたら、すぐにでも改めるべきである。
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