野生のオオカミ

 大学に入った時に私は教育学部の美術研究室だった。そして、心理学教室の先生が私のいとこの先輩だと聞かされていて、あいさつに行った。いとこも同じ香川大学の教育学部で、広島の学校の先生になっていた。
 あいさつに行くと快く迎えてくださり、歓談をした後に、「うちは実験心理学だから、時々被験者になってほしい」と言われて、快諾した。
 数か月して夏休み前に声をかけてくださって、夜の飲み会に誘ってくれた。その前に先生の研究室を訪ねるとまだ私一人だった。それで、先生と話しをすることになった。
 先生が切り出したのは、「東君に初めて会った時には、『山から下りて来たばかりの野生のオオカミ』のように思った。○○くん(いとこ)のいとことは思えなかったし、現代のどこで、どう育ったら、こんな野生のオオカミみたいに育つのか、とても疑問に思った。だから、時々会うことにしようと思って、被験者を頼んだんだ」という話だった。
 「野生のオオカミですか…。」と言葉が漏れた。
 「うん、野生のオオカミだね。心がささくれていて、すぐに牙を剥いて、嚙み殺すような凶暴さを感じるよ。今も。『オオカミ少女』の話は知っていると思うけど、オオカミに育てられたら、人間はオオカミのようになるんだ。でも、君はオオカミに育てられたわけではないと思うし、○○君のいとこだから普通に育ったのだと思うけれど、どうして、そんなに狂暴で、狂気に満ちた空気を持っているのか不思議に思う。だから、君が大学四年間で人間になれるかどうか観察したいと思ってね。だから、これからも時々来てね。」と、言われた。
 それで、時々先生の研究室の被験者などになって、訪ねて行った。
 三年生の頃、別の臨床心理の先生から、呼び出しを受けた。授業を取ったこともなく初めて聞く名前の先生だった。何事かと思って、訪ねてみると、「君は面白い子なんだそうだね。それで、カウンセリングをしてみようと思ったんだ。いいかい。」と、言われて、どうせ実験心理の先生くらいから聞いていたのだと思いながら、了解した。
 それで、カウンセリングというよりは、何かの調査か取り調べのように、根掘り葉掘り問いただされたが、素直に正直に答えた。
 「ふ~ん。普通だね。でも、全然普通じゃないね。」と、禅問答のようなことを言われた。
 「何がどう普通じゃないんですか?」と、聞くと。
 「普通のことは普通に説明できるけれど、普通でないものは普通には説明できない。例えば幽霊のように実態のないものは、どう説明しても説明することはできない。ただ、『幽霊』というしかないのと同じように、『普通でないもの』は『普通ではない』としか言えない。」
 「僕は幽霊みたいなものですか?」と、聞くと。
 「そうね。幽霊みたいなものかな。でも、幽霊だってわかっただけ、進歩じゃないかな。」
 「そうですか。」
 「うん、そう思うよ。とにかく面白いから、また訪ねて来てね。」と、言われた。
 その後も何度か訪ねてみたが、何のために訪ねているのかさえわからなかった。ただ、「知能テスト」をしてくれたのはとても感謝している。ただ、小さな声で「君のことは知能テストでは、何もわからないよ。」と言われた。
 そして、卒業前に、実験心理学の先生を訪ねたら、「東君もようやく人間になれたってことかな。でも、生まれたばかりの赤ん坊のようなものだから、これから成長していくんだって思って頑張るんだよ。」と言われた。
私は小さいころから、「変わり者」と言われて来たが、大学生の時に教授たちから有難くも「お墨付き」を頂いたことになった。
 あれから、40年以上経った。私は人間として成長できたのだろうか。前期高齢者にはなったけれど。
 

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