
私は今年65歳で、前期高齢者になった。昭和35年生まれであるから、足し算をすると、確かに100になるから、「昭和100年」と言いたいのだろう。
でも、何でそんなに「昭和100年」にこだわりたいのかと、考えてしまう。
そういえば「昭和の日」なんてものもあるから、「昭和」という年号なのか、時代なのかにこだわりたいということなのだろう。
昭和は当然のことながらすでに終わった。平成、令和と来ている。大正は15年だから、単純足すと「大正115年」となるし、明治なら、「明治157年」くらいになるのだろう。
「今年は明治何年」で検索すると、AIは、
今年2025年は、西暦でいうと「令和7年」に該当し、明治時代はすでに終わっているため、明治の年数はありません。
ところが、「今年は昭和何年」と検索すると、AIは、
今年は「昭和100年」にあたります。昭和は1926年に始まり1989年まで続いた元号ですが、仮に続いていると仮定すると、2025年は昭和100年となります。
AIも忖度するのだと、驚いた。
そんなに「昭和」が好きなのかと驚いてしまう。私は勿論昭和生まれだし、昭和を楽しんだが、人権無視や過重労働や、福祉の無さやいい加減さなど、「不適切にもほどがある!」のドラマのように、昭和時代は現代から見れば、「不適切」である。
過去を美化したい人もいるのだろうが、私にとっての昭和は、「敗戦」という日本国始まって以来の大失態であって、ほめられるとしたら、「復興」と「平和活動」だろうと思う。
昨日の9月18日は「柳条湖事件」の日で、日本が偽装して戦争を開始した、「恥ずべき、卑怯な日」で、そのために未だに中国では、反日の日となっている。
日本は未だに赦されてはいない。きっと韓国や北朝鮮やロシアや連合軍全体からも。
こんな悲惨な負の遺産を作り上げた「第二次世界大戦敗戦」という大失態の昭和を祝う気にはなれない。昭和とは深く反省を心に刻むべきものであり、平和国家としての日本の国のあり方を固く誓うべきものだと思う。
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