甦り・蘇り・黄泉返り・生き返る

 死の体験を通して、神様は私に「リセット」をさせてくださったのだと思った。「生き返る」とか「甦り」とかの体験をすると、人はそれまでの自分とは違うものになったような精神状態になる。
 丹波哲郎の「大霊界」とか、一時期流行っていたが、死んだ後に「三途の川」を渡るような体験や「お花畑」の体験をする人も多いようだ。
 私が自分が死んでいたと思ったのは、勿論その部屋の状態や自分身体や鼻についた煤の状態などもあったが、別に私の叔母の状態からそう思った。叔母は肺結核で、再び入院した後に何度も危篤状態になった。学校の先生を辞めて家で引きこもっていた時に叔母の体調が悪化して、自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになった時に、誰かが傍で見ているようにとのことで、一か月ほど午後九時から翌朝の午前九時頃までが私の担当となった。当時の機械は乱暴でとても機械的で、同じ動作を繰り返して、空気を肺に押し込むようなものだった。喉にバルーンを入れて、管を密着させて、蛇腹のついた円筒状のアコーデオンのそれみたいなものを押し引きして空気を送るものだった。それに対して時々起こる自発呼吸がタイミングが合わずぶつかることがあると、バルーンと喉の間から空気がもれて、「ブブゴゴ、ブブブー」みたいな音が激しくして、叔母が苦しくて暴れるのである。うつらうつらしていても、目が覚めるので、恐怖と不眠で段々とおかしくなっていった。
 そんな中で、一度叔母の心臓が止まるという事態が起きた。看護師さんが飛んで来て、その後お医者さんも来て、私は部屋から出されて、しばらく処置をした。三十分ほど処置をした後で、報告を受けたのは、「二十分ほど心臓が止まっていたので、脳死になり、意識が戻らないかも知れない」とのことだった。「叔母は死んだ」のだと思った。
 しかし、叔母は二日後くらいに意識を取り戻し、一命を取り留めた。それで、意識が戻って来た時に「天国に行っていたのか?」と聞いてみると、「真っ暗闇の中にいた」と言った。
 私は、自分が体験した「死」の時に、この叔母が言ったのと同じ状態だった。ただ真っ暗な場所に身動きも取れない状態で留まっていた。
 その後、丹波哲郎の話を聞いてうらやましいと思った。
 そして、最近義父と話す機会があって、義父は以前に大事故で死にかけた時のことを話してくれた。「暖かくて、お花畑のようなところの川を渡った向こうに行こうと思った時に、『いや、行ってはいけない』と思ったら、意識が戻った。あの時、行っていたら、死んでたんだろうな」というものだった。
 みんな、同じような体験をするみたいだけれど、私のは叔母と同じようなものだった。
 クリスチャンの中には、天国まで行って、イエス様に会い、「まだ、地上での働きがあるから、返りなさい」と言われて、生き返った人の話もよく聞く。
 しかし、これらは「キリストの復活」とは別物である。

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