宇治のチャイのお店に行くと、素焼きカップだと500円、釉薬がかけてあるものだと300円だと言われた。素焼きは使い回しができないから、買い取りになるので高くつき、釉薬がけだと洗って使うので、中身分の300円なのだという。その説明に最初驚いた。その理由は「インドでは今もカースト制度(身分制度)が残っているから、違うカーストの人と器を使い回すことはしない」のだそうだ。つまり、素焼きのカップは紙コップと同様の扱いなのだそうだ。もうとても長い間そういう制度の下で暮らしているから、この素焼きのカップの存在は当たり前で、いらなければ割って捨てて下さいと言われた。もったいないので、持って帰った。高さ6.5mm 口径5.5mm 底径2.5mmの素焼きのカップに注いでくれたチャイは香辛料が効いて、甘くてとても美味しかった。
でも、カースト制度という恐るべき身分制度=身分差別を今も歴然と行っていることに怒りが込み上げて来る。日本にも江戸時代に身分制度が作られた。明治政府の下で撤廃されたが、国民からの反対で、スムーズには行かなかった。現代にもその影は残っている。
人が人を差別し、「見下す」「バカにする」「不公平に扱う」…。男女差別や民族差別等、学歴差別や貧富の差等など…様々ある。その一方で、身勝手で、やりたい放題の者もいる。簡単にできることではないが、誰もが毎日を安心して普通に暮らせる社会を造らなければならない。
今日本には表向き身分制度はない。しかし、経済的、学歴的(能力も含め)格差はある。力ある者やお金をたくさん持っている人の責任は重たい。死んで神様の前に立った時に、人生を清算させられる。まるで、能力や財産分を金に換算されて、背負わされて、海に放り込まれるようなものだ。死んでしまえば、何一つ持っていくことはできないのに、人は執着し、一人占めする。それが「罪の重さ(呪い)」となって、地獄へと足を引っ張る。
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