金持ちは『罪』

【新共同訳】ルカによる福音書
16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、
16:
21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。
16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。
16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』
16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。

この聖書箇所には、『金持ち』と『ラザロ』が登場する。
二人は死んで、金持ち(名前さえない)は陰府(地獄)に、ラザロはアブラハムのすぐそば(天国)に連れて行かれた。
理由は後ろの赤字にしたアブラハムの言葉である。
金持ちは罪を犯したのか、と聞かれると「自分のお金を自分の思いのままに使って楽しく生きただけで、何が悪い!」と、文句を言うだろう。「自分は罪など犯していない」とも。
現行の法律で彼を裁くことは、たぶんどこの国の法律でもできないと思う。金持ちは『犯罪者』ではない。でも、神の前では『罪びと』である。

神様は、みんなが等しく幸せになってほしいと願って人を創った。それなのに、富も権力も偏り、貧富の差ができて、苦しみもだえている人がいる。もしかしたら、頭も肉体的にも弱く、要領も悪く、先祖からの遺産も血筋も悪く、貧乏で不幸な人生に定められているように見える人がいても、「その人のせいだ。自分には関係ない」として、何もしなければ、それがその人の『罪』であり、その人は天国には行けない。金持ちであること自体が実は『呪い』であり、そのお金を正しく使わなければ、その人の『罪』となる。
それは、能力や力や権力や権威や、血筋や才能や、だいたいが『有利』に働く『善い』と一般に言われているものを持っている人が、それを『持たない人』のために使わなければ、罪と定められるということである。
チャリティは、善意でやるのではなく、地獄に行かなくてすむために、永遠の命をかけて、自分のために、必死でやるものなのである。そこには、『善意』も『偽善』もない。
みんなで、天国へ行きたいですね。私も頑張らないと。

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