理不尽な戦後

私が生まれた時には、すでに戦争は終わり、敗戦国という烙印が押されていた。大学院時代の恩師は所謂「戦争に行けなかったお父さん」だった。彼は、「なぜ日本は負けたのか」とか「どうやっていたら勝てたのか」とかを、授業の合間に一日に数時間も話し続けてくれた。
「自分が戦っていたら…」「自分が指揮官だったら…」と何度も言っていた。
日本の戦後で、欠けていたのは、この「なぜ、負けたのか」という考察ではないだろうか。
どんなスポーツでも、負けたら、その理由を調べ上げて、次に勝つための方法を練り直す。それなのに、日本はそれをしなかった。もう二度と戦争はしないと誓ったから、勝つための方法を考えることをやめた。
でも、「なぜ、負けたのか」を考えることを放棄するべきではなかった。「天皇の戦争責任」とか「軍部の独走」とかの言葉が上がり、それをスルーするために、議論を放棄したように見えた。あの時、もっとちゃんと国民全員で理性的に考えておけば、日本はもっと光り輝く国として、世界のリーダーになれたのではと思う。
日本は第二次世界大戦の「加害国」である。国際連合という「勝利国」の作った組織の中では、いつまで経っても、「犯罪者」のままだ。その上、時効はないようだ。
戦後の日本を率いていた政府はこれをなんとかしようと必死で頑張ってくれていた。でも、まだここまでしかできていない。
もし、抜け出せるとしたら、第三次世界大戦が起こって、連合軍側に入るか(世界が滅亡していなければだが)、世界平和(世界幸福)に、徹底的に貢献して、世界から認められるかではないだろうか。今回のノーベル平和賞はとても意義深い。
何で敗けるような戦争をしたのか、と文句を言いたい。正義の戦争ではなかったのか?

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